「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか

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外務省を迂回か

 同年11月、東京で「世界言論人会議」という国際会議が開かれた。これは世界中から約700名のジャーナリスト、学者が集まり、マスコミのあり方を話し合うもので、その最中、議長名でレーガン大統領に書簡が出された。

〈米国で文尊師は評判のよい人物ではありません。彼は共産主義に強硬な姿勢を取り、伝統的な価値観を支持してまいりました〉

〈宗教と報道の自由を掲げる合衆国憲法修正第1条の名の下、速やかな是正措置を取るようお勧めいたします〉

 要は、大統領恩赦を与えてほしいという要請だ。この会議の創設者こそ、誰あろう文鮮明であり、東京で名誉議長として登壇したのが岸だった。

 さらに翌月、今度は文の代理人を務めるワシントンの大手法律事務所もレーガンに書簡を送った。そもそも裁判の進め方に問題があり、憲法上の疑義があるという。

 たった1カ月の間に相次いだ大統領への直訴、これは明らかに統一教会と連携している。岸の働きかけも、その一環とみてよい。それに対し米国政府はどう応じたか。

 筆者は、岸の書簡はすでに5年前、カリフォルニア州のロナルド・レーガン大統領図書館で入手していた。ところが、レーガンからの返書は国家安全保障を理由に公開されなかった。それが今回、改めて照会すると手に入ったのだ。

 日付は1985年3月5日、文面はまず、レーガン再選に寄せられた岸の祝辞への礼から始まる。そして最近、文の仮釈放が却下され、弁護士が恩赦を要請してきたという。

〈要請は現在、司法省で検討しており、その過程で貴殿の考えも慎重に考察されるものと保証します。見解を伝えていただき感謝します〉

 明らかに、やんわりと拒否するニュアンスだ。そして返書を出す前、司法長官代理が大統領の法律顧問にメモを送った。恩赦に反対との内容で、それとは別に、文の裁判記録もホワイトハウスに届けられる。その焦点は、ニューヨークの銀行にある個人口座だった。

 70年代初め、文はチェース・マンハッタン銀行に口座を開き、3年間で約160万ドル、そのほとんどを現金で預けた。そこで発生した利子や教会の関連会社から受領した株式を申告しなかったのだが、前述の通り、弁護人は、文は管財人に過ぎないと主張した。

 ところが記録によると、資産の一部が、ニューヨーク郊外の文が住む高級住宅の購入費や子供の学費に回されていたという。さらに興味を引くのが偽装工作疑惑である。

 口座の金を信者の献金に見せるため、虚偽の入金記録を作ったという。そこで使われたのが「日本家族ファンド」なる帳簿で、数百の日本人信者の名前、献金額、その日付が載っていた。これを担当したのが統一教会の在米日本人幹部の神山威(たける)で、文と共に起訴され、懲役6カ月、罰金5千ドルの判決を受けた。

 米国の脱税裁判は図らずも、統一教会の資金ネットワークの片鱗をさらしたのだった。しかも70年代末、米韓関係を調べた米下院の委員会は、文らが祭政一致の世界政府樹立をめざしていたと指摘した。

 そして岸も、自分の働きかけが一種のヤバさを含むのを感じ取ったようだ。

 レーガンへの書簡を託したのは、当時アール・エフ・ラジオ日本社長の遠山景久、通訳として同行したのが日系2世で元GHQ将校のキャピー原田だった。遠山は、東京の世界言論人会議で反共を訴える講演を行い、原田は、巣鴨拘置所にいた岸の釈放に動いた一人だ。

 信頼できる友人を通じて米国に接触し、文釈放を呼びかける。また、その返書も西新橋にあった岸事務所に届けられた。これは取りも直さず、日本の外務省を通していないことを示唆した。外務省を通せば当然、大臣を巻き込み、下手すると将来の政治キャリアに関わる。それを避けるには水面下で進めるしかない。

 当時の外務大臣は岸の娘婿の安倍晋太郎、そして、その息子で秘書官を務めていたのが、若き日の晋三だった。

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