國學院大學では“謎の祭祀”が終わるまで暖房が使えない? 校舎に空調が完備されたいまも伝統行事「ふいご祭り」を続ける“深い理由”
「ふいご祭り」という行事がある「ふいご(鞴)」――火を強くするために空気を送り込む送風装置を使って、鍛冶屋や鋳物師など火を扱う職人が、火の安全と仕事道具に感謝して行う祭りである。
旧暦11月8日を祭日とし、この日は一日仕事を休み、ふいごを清めて祝うのがならわしとされていたが、ふいごが使われなくなった現代では、火難除け・商売繁盛・作業の安全を願う行事として形を変え、今も続いているという。
その一つに國學院大學がある。同大学は、日本でも数少ない「神道系大学」であり、神職養成と神道研究を中核的なミッションとしているため、他大学より神事や祭式が多く、重く位置づけている。なぜ、今も行うのか。話を聞いた。【我妻弘崇/フリーライター】
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【写真を見る】國學院大學で行われる実際の“ふいご祭り”の様子。想像以上に本格的な“祭祀”ということが分かる。
國學院大學の関係者と雑談していると、こんなことを不意に言われた。
「うちの大学は、『ふいご祭り』という行事があるんですけど、それが終わらないと暖房をつけられないんですよ。ここ数年は、夏が終わると急に寒くなるから困るんですよね」
本人はこともなげに笑っていたが、私は耳を疑った。祭りが終わらないと暖房がつけられない? 令和の時代に? たしかに、國學院大學は「神道文化学部」があるように、神道を中心に日本文化や諸宗教を学び、神職養成を明確に使命とする大学だ。神事を重視するには理由があるのだろう。一方で、急激に冷え込んだ場合、祭り前に「暖房をつけることは本当に許されないのか。学生よりも神様ファーストなのか?」、その点がどうしても気になった。私は真相をうかがうため、関係者を通じて、あらためて國學院大學に取材を申し込むことにした。
「今でこそ空調は、電気やガスに置き換わってますが、かつては燃焼式ボイラーに火を入れることで熱を作り、温かい風を建物全体に送っていました」
そう話すのは、同大学の管財課職員だ。火を扱う職人が、火の安全と仕事道具に感謝して行う祭りだった「ふいご祭り」は、同じく火を扱うという共通項があることから、昭和の時代に“ボイラーに火を入れる”際の行事として応用されるようになったという。聞けば、「ふいご祭り」は、ビルの管理会社や製鉄メーカー、金属加工メーカーでも行われることが珍しくない行事だそうで、火にまつわる機関や企業は、「ふいご祭り」という形で安全を祈願しているという。
「調べてみると、國學院大學では確認できるだけでも昭和40年代から『ふいご祭り』に関する記載があるので、50年以上毎年行われている行事になります」(國學院大學管財課職員)
キャンパス内に“神殿”
現在、國學院大學ではボイラー式空調の建物は講義には使われておらず、電気やガスによる空調が完備された新しい校舎を学び舎としている。結論から言えば、業者がメンテナンスさえ行えば、現在はいつでも暖房をつけることができるといい、「ふいご祭り」前であっても、「試運転という名目で暖房をつけることはできます」と説明する。あくまで学生ファースト。学生たちが寒さを我慢しながら机に向かうことはないので、安心していただきたい。
ボイラーは稼働していない。それにもかかわらず、「ふいご祭り」が連綿と受け継がれてきたのには、大学自体が「神道精神に基づく人材育成」を標榜しているところが大きい。実際、渋谷キャンパスには「國學院大學神殿」があり、天照大御神をはじめ八百万の神々を奉斎しており、学内で本格的な祭祀・祭典を行える環境が整っているほど。年度を通じて学内で行われる神事・行事は多く、その数は20を超える。
「『ふいご祭り』もその一つです。國學院大學には、『瑞玉會(みづたまかい)』といって、神道関連の伝統技術・作法を学ぶ学生サークルが存在するのですが、彼ら彼女らは実家が神社ということも珍しくありません。インターンではないですが、國學院大學の行事を通じて、祭式や雅楽、舞といった実践的な習得を目指しているんですね」(國學院大學管財課職員)
また、「神殿奉斎員・祭儀員」と呼ばれる神職の資格を持つ専任の教職員が存在し、神様を祀る祭祀を厳修する。分かりやすく言うなら、國學院大學で行われる神事・行事は、すべてハンドメイドかつ、プロとその卵によって行われるということになる。
「祭りが終わった後は、参列した企業の方々と“直会(なおらい)”といって、神前にそなえたお酒や神饌(しんせん)を神職や参列者で飲食する――神道の儀式をすることで親睦を深めます。ボイラーが使われていた時代は、そのままボイラー室で直会をしていたので、飲食の匂いが漂って、教員や職員に届いたと聞きます。“あっ! 明日から暖房がつくんだな”と、それで把握していたそうです(笑)」(國學院大學管財課職員)
風習が生活に根を下ろしていた時代は、いたるところに匂いや音があったのだ。
時代とともに変わる“祭り”の解釈
現在、「ふいご祭り」は、火難除け・商売繁盛・作業の安全を願う行事に姿を変えたと前述した。「時代とともに祭りの解釈が変わることは珍しいことではない」と話すのは、同大学神道文化学部の小林宣彦教授だ。
「江戸時代後期に発刊された、江戸とその近郊の年中行事・祭礼・風俗を記録した『東都歳事記(とうとさいじき)』の中では、『ふいご祭り』は、鍛冶職人のお祭りとして描かれています。その際、 平安時代から日本で栽培される日本原産の酸味が強い小型のミカンの一種である『柑子(こうじ)』を撒き、それを子どもたちが拾い集めるといった慣習がありました」
加えて、ふいごとは、火を強くするために空気を送り込む送風装置だと説明した。例えば、たたら製鉄では、砂鉄と木炭を燃やす炉に空気を送るため、畳2畳分ほどの大きな板を足で踏むことで風を送り込む――映画「もののけ姫」を観た方なら分かると思うが、あの板が「ふいご」と呼ばれるものである。余談だが、「ふいご」を踏む人を「番子(ばんこ)」と言い、重労働である「番子」は交代制であったことから「かわりばんこ(代わりばんこ)」という言葉は生まれたとされる。つまり、ふいご自体は、あくまで風を送る役割のもので、火入れという意味は持たない。これがどういうわけか、昭和の時代に、送風と火というキーワードを持つボイラーと結びついてしまったのだから、日本の神様の柔軟性たるや恐るべしだろう。
「『ふいご祭り』は、鍛冶職人たちにとって、火に感謝するお祭りでもあった。ボイラーは火を使いますから、感謝の意も込めて、『ふいご祭り』と定着させたのだとしたら、それ自体は間違ってはいないでしょう」(小林先生)
伝統を存続させる意味
私たちがよく知るところでは、お稲荷さんも解釈が変わった神様だ。
「もともと稲荷神は、稲や穀物の豊かな実り、五穀豊穣を司る農業の神様です。しかし、今では商売繁盛の神様として信仰されています。その背景には、時代が下るにつれ、商人が増えたことで解釈が変わり、信仰の範囲が広がったことがあります。また、八幡神は、天照大神に次ぐ皇室の守護神として位置づけられ、“皇位を守る神”だった。ところが、もともと皇族だった源氏が台頭し、清和天皇(清和源氏のルーツ)の時代に創建された石清水八幡宮を氏神として信仰するようになると、源氏は武力を担当する貴族ですから、石清水八幡宮は戦勝祈願の神社になっていきました」(小林先生)
それに伴い、全国の八幡宮も必勝祈願の色合いが強くなり、今では、「勝つ」という文脈にならい学業成就も兼ねるようになった。信仰する人たちの環境によって、信仰の形も変わるというわけだ。
「一方で、かまどがたくさん存在していた時代は、かまどを祀る行事として『竈祭(かまどまつり)』や『竈神祭』といったものがありました。しかし、ガスに変わり、現在はオール電化のキッチンも珍しくないですから、かまどを祀る行事はなくなっていった。生活の変化によって、なくなってしまった祭りや行事もあるんですね。そう考えると、ボイラーがほとんど使われなくなった現代において、『ふいご祭り』が残っているのは伝統の存続という点で、とても意味があることだと思います」(小林先生)
きっかけは、「随分とヘンテコな祭りがあるものだ」という好奇心からだった。だが、話を掘り下げてみると、 自分たちの生活に関わるものを解釈を変えて残そうとする、和の心。残り続けるものに関心を抱けますように。





