妻の不倫は責めないけれど…相手を知って「あんな男と」  “衝動”に走った53歳夫に下された「犯罪だからね」の宣告

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【前後編の後編/前編を読む】「日本に残してきた妻が浮気している」駐在夫のあきらめ やんわり苦言を呈すと…返ってきた言葉に思わずこみ上げた怒り

 岩田匡志さん(53歳・仮名=以下同)は、仕事の関係で発展途上国を中心とした海外へ頻繁に駐在している。3年の長きにわたったこともあり、その間、妻の広夏さんは、匡志さんの母の手を借りつつも、ひとりで小さい子どもたちの世話をした。広夏さんは、もともと高校の同級生。ほとんど家にいない負い目から、妻が浮気をしている疑いをもっても「仕方ない」と思う境地に匡志さんは達している。

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 匡志さんが現地で浮気をしなかったわけではない。安全を優先してコールガールなどは避けていたが、それでも人肌が恋しくて眠れない夜がある。

「ハニートラップなども怖いですしね。とにかく我慢して、別の国に出張で出かけたときとか、あるいはたまたま会った日本人とか。そのあたりはちょっと詳しくは言えませんが、本気で恋したこともありました。あまりに孤独だった。だから妻が浮気していても責めたくなかった。いつか夫婦で昔話をして笑い合えると思っていたんですよ」

 30代から40代にかけて、子どもたちが小さいころは断続的にしか国内にいなかった。しばらくは本社にいられることになったのは、40代も後半に入ってからだった。

「当時、息子が大学に入ったばかり、娘は高校3年生でした。すでに反抗期でもなく、僕のことを『おとうさん』とは呼んでいたけど、小さいころをあまり見ていないので、子どもの本質が見えない。いろいろ聞くと答えてはくれる。でも芯が見えない。そんな感じでした」

 それは広夏さんとの間でも同じだった。妻は変わらず仕事をしていて、70代後半になった匡志さんの母親は同居して家事をこなしていた。さすがにもう家事から解放してやりたいと妻に相談したが、「お義母さんも動いているほうが健康にいいのよ」と意に介さない。母自身も「長年やってるから気にしなくていいよ」と言う。自分がいない間に、4人家族はできあがっていた。

「ずっと一緒に暮らしているわけではないから、妻とはケンカにもならない。いつぞやの浮気疑惑だって、次に会うときにはもう今さら持ち出してもという状況になっている。ケンカにならない分、関係は薄い。信頼を積み上げていく要素がないんですよね」

肉体関係は「拒絶」

 家庭を維持してくれた妻には感謝していた。だから日本にいられるようになってから妻をレストランに誘い、しばらくぶりにデートした。

「本当に苦労したわよ。あなたと結婚しなければよかったと何度思ったことかと妻は言いました。ごめん、ありがとうと言うしかなかった。『でもお義母さんがいてくれたから、私は思う存分、仕事もできた』と妻は笑っていました。ただ、会話がぎこちないなとふたりとも思っていたはず。そのときも妻は恋をしていたのかもしれない。なんだか妻がまぶしかったし、僕とは違う世界にいるように感じたのを覚えています」

 妻とはその時点で10年近くレスだった。当分、東京本社にいられるとわかって安心した彼は、妻との肉体関係も取り戻そうとしたが、拒絶された。男として打ちのめされたと彼は言う。

「妻は言ったんです。『私はもう、あなたをあきらめているの。だから優しくできるし、滞りなく日常生活を送ることができる。期待していたら、とっくに離婚になっていた』って。最初、意味がわからなかったんですが、夫婦としてはもうやっていけないということなんでしょう。家族として受け入れただけだ、ということみたいです」

 気を遣った母親から、「ふたりで温泉でも行ってきたらどう?」と言われたこともある。打診してみると、妻は首を横に振った。

「ごめん。週末は友だちと温泉に行くの。娘が塾の合宿だから、私もちょっと羽を伸ばしてくると言うんです。行くなとは言えないけど、誰と行くんだとは聞きました。すると妻は『やめてよ。そういう普通の夫婦みたいな言い方は』って。ああ、オレらは普通の夫婦じゃないんだと思わず言うと、『そうでしょ。こんなに離れて暮らしていたら、夫婦なんていう感覚はなくなるわよ』と。それもそうだよなと思いましたが、『でも広夏は僕の妻だよね』と確認せざるを得なかった。戸籍上はね、と言った妻が妙にきれいに見えて、思わず押し倒そうとしたら、『やめてね。その気はないから』と冷たく突き放されました。離婚したほうがいいのかなと言うと、『どっちでもいいけど』と妻は言う。子どもたちが大学を出てからでもいいんじゃないのって」

 だからといって妻が極端に冷たくなったわけでもなかった。娘がお弁当を持っていくから、おとうさんもいるかと聞かれた。頷いたら、妻は自分と母親の分も含めて4人分の弁当を作ってくれるようになった。夕飯は母親任せだが、お弁当は妻の手作りだ。もっとも母親が気をきかせて冷凍食品を買っておいたり、前の晩に余分に作ってくれたりするからこそできる弁当ではあるのだが、それでも匡志さんはうれしかった。

「母親の誕生日に、みんなで焼肉屋に行ったこともありました。その後、カラオケで盛り上がって。母はうれしそうだった。僕がいない間、ときどき4人でカラオケにも行っていたようです。娘は『おばあちゃん、あれ歌ってよ』と、ちあきなおみの歌なんかリクエストしたりして。母が意外と歌がうまいのを初めて知りました」

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