「フィル・ミケルソン」が自然体でプロ生活を続けられる理由は“家庭優先”の人生観 「娘の卒業式のために全米オープンを欠場したことも」(小林信也)
フィル・ミケルソンは、「史上最強のレフティー」「タイガー・ウッズが最も恐れる男」など、数々の形容詞で彩られるゴルフ界のレジェンドだ。
速報横綱・豊昇龍の「乱痴気飲み会」動画のウラ側 「まげに1万円の束を挟んで、ケーキに顔を突っ込み……」主催者は「横綱が自分で札束を挟んだのでは」
速報「真美子夫人の姿を撮らないでほしい」 秘密裏に出産を進めたい球団側と、「大谷より先に発表を」とスクープを狙うメディア
2年前(2023年)のマスターズ、優勝はジョン・ラームだったが、最終日にギャラリーを沸かせたのは、52歳で2位タイに入ったミケルソンだった。
ミケルソンは、3日目に75をたたき、20位に後退。優勝戦線から外れたが、最終日のとくに〈サンデー・バックナイン〉で目の覚めるような快進撃に転じた。アーメンコーナーと呼ばれる12番、13番で2連続バーディーを奪い、パー5の15番もバーディー。さらに17番、18番を連続バーディーで締め、スコア65で15年以来8年ぶりの2位でフィニッシュした。
全選手の平均スコアが73とパーを超えた中での7アンダーは、ベテラン健在を強烈に印象付けた。
54歳で迎える今年のマスターズは4月10日に開幕し、13日が決勝ラウンドだ。21年の全米プロを制し、最年長メジャー優勝記録を更新したミケルソンが、マスターズでも記録を更新する夢をオーガスタのパトロンは見られるかもしれない。
メジャーリーグに挑戦
ミケルソンは、早熟のゴルファーだ。生後18カ月でクラブを握り、早くから「天才少年」と呼ばれていた。80年の世界ジュニア選手権では9-10歳の部で優勝している。彼の名前を日本のゴルフ・ファンが知ったのは35年も前。アリゾナ州立大学1年の時、史上最少スコアで優勝。90年には全米アマ優勝。大学3年でPGAツアーに出場し、ノーザン・テレコム・オープンを制覇した。大学を卒業し、プロに転向した2年目にはビュイック招待に優勝、20代前半でトップ・プロの地位を固めた。
彼の才能にいち早く目を留めたヨネックスが大学時代からサポートしたため、ミケルソンは92年から2000年まで、ヨネックスのクラブを使用した。それもあってか、90年代からカシオ・ワールド、サントリー・オープンなどの大会で来日。日本のファンが親しみを持っているのはその影響もあるだろう。
その早熟ゴルファーが、54歳になってなお第一線で活躍し続けているのは驚異的だが、道のりは平坦ではなかった。
中でも驚いたのは、03年、「野球に挑戦」のニュースに接した時だ。
「プロになって11年間はとても楽しかった。大会で勝利を目指してそれを達成できたからね」
ミケルソンが当時のインタビューに答えている。だが、03年は最悪のシーズンになった。3年連続2位をキープしていたPGAランキングは38位まで落ち、四大メジャー大会もマスターズでは3位に入ったが、以後3大会はいずれも上位に遠く及ばなかった。それでミケルソンは、デトロイト・タイガースの3A球団、トレド・マッドヘンズの入団テストを受ける選択をした。
ネットで入団テストの映像を見ることができる。ミケルソンは、大真面目な顔で打者に対して変化球を投じ、空振りを奪っている。
テストの結果は不合格で、ミケルソンはゴルフ界と再び向き合わざるを得なくなった。
興味深いのは、史上最強のレフティーゴルファーが、右腕で投げていることだ。ゴルフ・ファンには有名だが、ミケルソンは元来、右利きなのだ。幼い頃、父の指導を受ける時、右利きの父と向かい合い、そのフォームをまねていた。つまり鏡に映った姿でクラブを振っていた、と伝えられている。
トレドがミケルソンを門前払いしたおかげで、04年には輝かしい未来が訪れた。
12回目の挑戦で、ついにマスターズを制覇したのだ。
この年は全米オープンでも2位、全英オープン3位、全米プロ6位タイ。賞金ランクも3位に上昇した。
[1/2ページ]