「沢村忠」を倒すためキックボクサーに 76歳になった「富山勝治」が“回転バック蹴り”をひらめいた瞬間を語る(小林信也)

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 富山勝治(本名・勝博)は宮崎・延岡商を卒業し海上自衛隊に入った。高校時代、九州の空手選手権で優勝していた富山は入隊後も佐世保米軍基地での試合で米兵相手に暴れていた。そんな富山に、上官が言った。

「富山君、お前だったら沢村を倒せる」

「沢村って誰です?」

 富山はキックボクシングを知らなかった。

「昭和42年当時、九州ではまだキックボクシングを放送していなかった。自衛隊の船が呉に停泊している時、船内のテレビで初めて中継を見た。それで私は『こんなやつ、一発ですよ』と、威勢よく言ったんです」

 上官には「すぐ上京しろ」と勧められたが、「最低3年は自衛隊で勤める」、父との約束があった。

「それで3年満期の3月31日、除隊した日に東京に上って目黒ジムを訪ねた。ちょうど休みで、4月1日に入門。ジムの前に何百人も並んでいた。みんな入門希望者です。私がもらったカードは450番でした」

 沢村人気はそれほど沸騰していた。大勢の練習生の中で黙々と汗を流す日々。

「転機は同じ目黒ジムの神田昭広先輩との試合でした。先輩は親指の生爪を剥がして試合に臨んでいた。私はその親指を思い切り踏んづけたんです。先輩は悲鳴を上げてリングを転げ回った。ジムの仲間やトレーナーに『富山は汚い!』と非難されました。一人だけ野口修会長が、『富山はいい根性をしてる』と、アメリカに連れて行ってくれたんです」

 少し遅れて沢村も来た。

「ある日、沢村さんが『一緒に練習しよう』と言ってくれて、向かい合って構えた。次の瞬間、気が付くと沢村さんがポーンと飛んで、私の肩に脛で乗って、頭を上から押さえられていた。えっ? もうビックリです。その時、『この人にはかなわない』と思いました。沢村さんはすごい、天才です」

 それから沢村にかわいがられ、彼が住む都内のマンションで一緒に暮らした。沢村が引退する時、持っていたチャンピオン・ベルトを直接渡された。

「後は頼む、お前がオレの後継者だという意味でしょうねえ」

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