「梨元に言いつけるぞ!」を広めた大物俳優とは? 日本一有名な「芸能リポーター」が明かした「勝新太郎」の豪快過ぎる秘話
何事にも興味を持ってチャレンジ
前出のインタビューでは、梨元さん自身の武勇伝も披露している。競輪の話だ。唯一村営の「弥彦競輪を愛するマスコミの会」というのがあり、梨元さんも誘われて参加した。その際の宴会でのエピソードだ。
「弥彦の温泉に集まって宴会を開いた時、はいていたパンツを脱いで、それを水割りのグラスに浸して、そのまま飲んじゃったらしいんだよ。ボクはうろ覚えなんだけどね」
実はこの会には筆者も参加しており、その場で目にしている。インタビューは別の記者にお願いし、その記憶があるか訊いてもらったところ、こう話してくれたのだった。
梨元さんには同紙で連載をお願いしていた。担当していたのは先輩記者で、筆者が梨元さんとお会いするのは記者会見などだったが、弥彦の一件以来、競輪でもお付き合いいただくことになった。
一つは全国の競輪場の施行者が発行しているPR誌で千葉競輪場のリポートをしていただいた。この時、梨元さんの生い立ちを聞くことができた。
生まれたのは父親が戦地に駆り出された後で、顔を知らないまま育ったのだが、入学したのはさいたま市(旧与野市上落合)の小学校、母親が再婚し、同市大宮に住む祖父母に育てられた。再婚した母は大宮競輪場で事務のアルバイトをしていた……。
ビックリ仰天はこちらだった。筆者は両親がいなかったため祖父母と暮らし、大学の関係で住んだのは同市下落合、大人になって競輪場に通うようになったが、最初に車券を買ったのが大宮競輪場だった。大物リポーターの梨元さんといくつも被っていたのだ。
そのつながりで、98年に函館競輪場が初のナイター開催を行ったシーズンには「梨元の目」という競輪の車券予想までお願いした。今から思えば、あつかましいとしかいいようがないのだが、梨元さんは何でも興味を持ってチャレンジしていた気がする。まさに突撃スピリット。
その後、勝新がコカイン事件を起こしたのは「Tシャツだあ!」からしばらくしてのこと。梨元さんは勝新にハワイに呼ばれ、その告白をスクープした。やはり芸能リポーターとしてモノが違っていた。
梨元さんの守備範囲は本当に広い。イギリスまで飛んで当時のダイアナ妃を追いかけ、突撃していた時期がある。ダイアナ妃が亡くなった時は埋葬されたノーサンプトンまで取材に出かけた。その時にダイアナ妃が眠るオルソープで配られた記念のコインとボールペンをいくつかもらって帰ったが、その一本を筆者にプレゼントしてくれた。
梨元さんの追悼文のタイトルを「ダイアナ妃と競輪」としていたのが懐かしい。