没後4年「田村正和さん」鉄壁のプライバシー 「人前で食事をしない」「トイレ中は誰も近づかせない」…元マネージャーが明かす
ガムは前歯で噛む
「私は昭和55年から5年間ほど、正和さんに仕えていましてね」
と言葉を継ぐのは、田村氏のマネージャーを務めた男性だ。
「食事をするところを人に見せなかったのは、その姿があまり美しくないという思いがあったんでしょう。スタジオなら店屋物を取って楽屋の中、ロケなら弁当は車の中で一人で食べていました。プライベートでの食事も個室のない店には絶対に行きませんでしたよ。日本橋の高島屋によく買い物に行っていましたが、そこでもVIPルームのような個室に入り、革靴やジャケットを持ってきてもらって試着する徹底ぶりでした」
美意識はガムの噛み方にまで及び、
「“奥歯で噛んじゃ駄目だ。くちゃくちゃ音がして汚いだろう。ガムは前歯で噛むんだよ”と。でも前歯だと噛んだ気がしないんですけどね。“自分は田村正和のマネージャーという意識を常に持て”と言われてね。服装なんかよく注意されたものです」
“子供と遊ばない”
雑誌のインタビューでも「パパ臭」を出さないためか、「浮気を許せない妻は失格だ」「子供とも遊ばない」などと答えることもあった田村氏。しかし、実像は良き家庭人であったという。近所でも、娘が幼い頃、登校時に姿が見えなくなるまで手を振り続けるのが目撃されているが、
「娘さんのことはとても可愛がっていましたよ。一人娘だったから尚更かな。運動会など学校の行事にもよく行っていた。夏は野球帽を目深に被ってサングラス、冬はコートの襟を立てて、顔がバレないようにしていましたが、独特のオーラがあるので逆に目立ってしまっていましたね。夫婦仲も良かった」(同)
また、田村氏は熱烈な巨人ファンでもあり、収録中に巨人戦の経過を調べて伝えるのもマネージャーの仕事。巨人が劣勢だと機嫌も下降線だったという。
元マネージャー氏が傍にいた時期は、ちょうど田村氏がコメディ路線で新境地を開いた時期と重なっている。
「その頃、正和さんはなかなか主役が取れず、2番手の仕事ばかり来ていました。“なぜ主役が来ないのか”と愚痴をこぼしていましたね。そんな時にTBSが持ってきたのが、小学校が舞台の学園ドラマ。ただコメディタッチだったこともあり、バリバリの“二枚目”だった正和さんは“できるわけないだろう”と。断るために“リハーサルは出ない。ぶっつけ本番ならいい”と言ったんです。そう言えば諦めると思ったんですね。でもTBSはめげなかった」
こうして始まったのが、「うちの子にかぎって…」である。これがヒットし、田村氏は後の「パパはニュースキャスター」、そして代表作「古畑任三郎」シリーズと続く「二・五枚目路線」を確立することになるのである。
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