アメリカとは大違い! 「ルールだから、前例だから」って…日本は意味のない学校行事が多すぎる!(中川淳一郎)

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 なんで学校って、あんなに行事が多かったんですかね? 将来の糧にならないものが多過ぎると感じます。

 われわれ氷河期世代が受けた公立小中学校の授業は“誰をも置いてきぼりにしてはいけない”とばかり、何かと低レベルの子に合わせ、各自に全体主義的精神をたたき込み、生徒の従順性を涵養していました。

 それは90年代半ばまでのように、欧米発の商品を改善した形で、より高品質のものを作りまくるのに重要な能力ではあったでしょう。

 しかしネット時代では、便利なプラットフォームを作っていかに顧客を多数囲い込むかが勝負を分ける。そこで負けた結果が、現在の惨憺(さんたん)たる状況(経済戦争での敗北)につながっているようにも思えます。各自が好きなこと、得意なことを小さい頃からやり続けていたら、日本からもGAFAやUberなどが誕生したかもしれません。

 毎度の行事と、それまでの練習がイヤでした。運動会ではフォークダンスやマスゲームみたいなことをしました。リズムが合わない同級生のせいで全体が止められ、延々と同じパートを砂埃が舞う校庭で踊らされました。連帯責任です。

 入場行進の練習も整然と、一体感をもって歩けるようになるまで念入りに行われ、週2~3回、1カ月にわたって運動会の練習をしたのは苦い思い出です。前へ倣(なら)えとか右向け右とか、いかにも日本的な光景です。

 組体操の練習も苦痛でした。コレ、ケガするだけでしょ……。現に「ピラミッド」「タワー」では、崩れて負傷する生徒が出たことから全国で禁止措置が。

 簡易的な出し物は行われていますけれど、苦笑したのが2020年と翌年の運動会で、感染対策としてソーシャルディスタンスをとった「組まない組体操」が披露されたこと。生徒が妙に距離をとって同じ体勢になるものです。

 他にも合唱コンクール、林間学校、修学旅行、授業参観、さらには毎週月曜日の朝礼、各学期の始業式や終業式。全部が必要でしょうか? 卒業式など在校生が駆り出され、卒業生を送る歌を強制される。長時間の練習が伴うというのに。

 アメリカの中高では行事が少なくて快適でした。中学では卒業旅行としてアーミッシュという宗教集団の村を訪れただけ。卒業式はなく、高校も入学式はない。4年制高校での行事といえば、卒業式を除くと2年生での刑務所見学のみです。

 女性に飢えた囚人たちが鉄格子を握って「よぉ、そこのブロンドのお姉ちゃん、こっち来いよ!」なんて大騒ぎしている場に行くことで、「われわれはこんなところに放り込まれる人生を送ってはいけない」という教育になっていたのでした。

 アメリカ人って、意外に「これは本当に意味があるのか?」を考えて行事と教育をしてるんです。日本は「ルールだから、前例だから、文科省のガイドラインだからやれ」で終わり。

 オイ、卒業生を母校に迎える「ホームカミング」と、カップルで参加する「プロム」というダンスパーティーがあるでしょうが、と思った方もいるでしょう。

 じつはこれらは任意参加。私たち6人組男子はプロムに参加せず、級友スティーブ宅の地下室で卓球し、ペプシを飲みました。自主性を重んじた行為です。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』など。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2025年4月3日号掲載

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