「ひとりで寝るのはこんなに寂しい!」――アイルランド詩人が驚いた「百人一首」のすごい孤独の嘆き方
一人でいるのはどうも苦手、とくに長い夜を一人ぼっちで過ごすのはとても寂しい――人知れずこんな思いを抱えている人も多いのではないか。古代の日本でも寂しがり屋は多かったようで、「百人一首」には孤独を嘆く歌が数多く選ばれている。
中でも有名なのは、柿本人麻呂の下記の歌だろう。
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【歌】
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝ん
【現代語訳】
山鳥の垂れ下がった尾のような、長い長い夜を、私は寂しくひとりで寝ることになるのだろうか。
アイルランド出身の詩人で、「百人一首」の英訳で知られるピーター・J・マクミランさんは、この歌を下記のように一語ずつ改行する形で英訳している。
【英訳】
The
long
tail
of
the
copper
pheasant
trails,
drags
on
and
on
like
this
long
night
alone
in
the
lonely
mountains,
longing
for
my
love.
なぜこのような不思議な訳し方をしたのだろうか。その理由について、マクミランさんの新刊『謎とき百人一首 和歌から見える日本文化のふしぎ』(新潮選書)から一部を抜粋して紹介しよう。
***
この歌は「万葉集」では作者未詳の歌だった。人麻呂の歌とされるようになった経緯ははっきりと知られないが、「拾遺集」には人麻呂(人麿)の和歌として載っており、「百人一首」もこれを踏襲している。
結句の「ひとりかも寝ん」の「かも」は、疑問に思いつつ嘆息する気持ちが含まれており、独り寝をしなければならないことが分かっていても、「ひとりで寝ることになるのか」と問いかけるところに、寂しさを受け入れきれない作者の気持ちが表れている。
さて、その結句を導く初句から第四句が面白い。上の句は山鳥の長い尾羽を長い夜に例えている。恋しい人と離れて寝る夜は、いっそう長く感じられることだろう。山鳥は夜になると、雄と雌とが山を隔てて離れて寝ると考えられていたことを思うとなおさらだ。山鳥が雌雄離れて寝る様子は、歌の主人公がひとり寂しく寝る様子にそのまま重なってくる。山鳥は長いものの比喩になっていると同時に、独り寝の象徴なのである。「百人一首」には、読むとその情景がはっきり思い浮かぶ歌が多いと思うが、この歌も山鳥の長い尾がありありと目の前に浮かぶ、視覚的な歌だと感じる。
そこで、英訳では単語をひとつずつ縦に並べることで、山鳥の尾羽の長さを視覚的にも表してみた。これは、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』において、アリスが「ネズミのしっぽ」のことを考えている場面に着想を得たもの。物語に出てくる詩は、あたかもアリスの頭の中にあるネズミの尾(tail)のように配置されている。文字で絵が描かれているのである。
この歌が刺激するのは、視覚だけではない。「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」と、ノとオの音の繰り返しがなだらかに続くさまは、聴覚的にも夜の長さを感じさせるように思う。定家の父、藤原俊成が、「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞ゆる事のあるなるべし」と、和歌を発声することで良さが分かるという和歌論を述べているが、この歌もその一例であろう。単に文字を追うだけでは分からない魅力が、声に出すことで伝わってくるのだ。
英訳でも「long」や「alone」など、オに近い母音を持つ単語を意識的に選び、もとの和歌よりオの音を増やすことで、一人寝の夜の長さが一層伝わるようにした。本書ではわかりやすいように、英訳のオ段やオに近い音を持つ単語を太文字にしてみた。
歌を翻訳する際に、どのように工夫するかと聞かれることがあるが、歌ごとに違った挑戦があって一言では答えられない。この歌の訳では、聴覚、視覚の両面に訴える表現に挑戦した歌であった。
日本にいると、「不思議の国の和歌ワンダーランド」にいる気になる。私は若いとき、西の果てのアイルランドから東の果ての日本へと冒険にやってきた。不惑、つまり40歳の頃、和歌の翻訳に真剣に向き合うようになった。今ではもう日本にやってきて30年以上になるが、冒険はまだまだ続いている。和歌ワンダーランドの奥深い世界は果てがなさそうだ。