「万葉集」は写実的で「百人一首」は観念的?――アイルランド人翻訳家を悩ませた「女性天皇」の名歌
「百人一首」には8人の天皇の歌が選ばれており、そのうち唯一の女性天皇の歌が、持統天皇の下記の歌である。
速報「たった5万人の来場で大混乱」 開幕まで1週間「大阪万博」でさらなるトラブルの予感が! 視察した府議から嘆きの声
【歌】
春過ぎて夏来にけらし白妙(しろたへ)の 衣干すてふ天の香具山
【現代語訳】
いつの間にか春が過ぎて夏が来たらしい。夏が来ると真っ白な衣を干すという天の香具山を見ていると。
アイルランド出身の詩人で、「百人一首」の英訳で複数の翻訳賞を受賞したピーター・J・マクミランさんは、この歌を下記のように訳している。
【英訳】
Spring has passed,
and it’s said the white robes of summer
are being aired
on fragrant Mount Kagu
that descended from the heavens.
しかし、上記のような訳にたどりつくまで、マクミランさんは何度も試行錯誤を繰り返したという。なぜなら、この名歌は「万葉集」と「百人一首」とでは微妙に表現が変わっているため、その解釈をめぐっても意見が分かれてきたからである。
マクミランさんの新刊『謎とき百人一首 和歌から見える日本文化のふしぎ』(新潮選書)から一部を抜粋して、その経緯を紹介しよう。
***
持統天皇は夫の天武天皇の事業を引き継いで律令国家の建設に努め、新しい時代を築いた。彼女の時代にはすでに暦が整えられ、それにより季節が把握されるようになっていた。
「万葉集」において、「季節詠」と呼ばれる歌が見られるようになるのも、ちょうど持統天皇の時代からである。だから「春が過ぎて夏が来たらしい」というのも、なんとなく夏らしくなったなあ、というような感覚的な表現ではない。暦により知識として知っていた季節の交替を、目の前の景色を通して実感し、感動している歌なのだ。
この歌は、「万葉集」では、「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香具山」だった。ところが、「新古今集」に収録された際には、第二句が「夏来にけらし」、第四句が「衣干すてふ」という表現に替わっている。「百人一首」も、「新古今集」と同じ本文を採っている。こうした違いが現れた背景には、「万葉集」の原文が漢字(万葉仮名)で書かれており、第二句が「夏来良之」、第四句が「衣乾有」となっているため、読み方が定まらなかったことがある。
特に第四句については、平安時代には「衣ほしたる」「衣かはかす」など、様々な読み方が伝わっていた。ほんの数文字だが、こうした違いは歌全体の印象を左右する。第四句を「たり」で言い切る「万葉集」バージョンは写実的になるが、『新古今集』や「百人一首」の「てふ」という伝聞を表す言葉になると、観念的な歌に聞こえる。さて、これを踏まえて、英訳ではどうするべきだろうか。
2008年や2017年に訳したときには、「万葉集」の本文を意識して訳していた。英語の詩としては臨場感がある方がより効果的で美しいものになるからだ。日本の注釈書でも、「万葉集」の本文の方が優れていると評価されることが多いだろう。だが、今回作った訳では「百人一首」の本文によせて、第二句に「it's said(~だと聞いた)」を加えて訳してみた。誰かが、ホメロスなどのいにしえの物語や叙事詩を語っているような印象の口調だ。
こう変えた理由を述べるには、「天の香具山」に触れなくてはならない。
現在の奈良県橿原(かしはら)市にある「天の香具山」は「天」を冠するように、天から降りてきた山という伝承があった。それを踏まえて、2017年の訳では「beloved of the gods(神々に愛されて)」を補ったが、少し意訳しすぎた感がある。そこで今回の訳では伝承を反映する形で具体的に「that descended from the heavens(天から降りてきた)」と訳した。こちらのほうがより神話の世界を思わせる、詩的な訳になると思う。
そしてその神話的な世界が、2行目の「it's said」と響き合い、さらに物語的な要素が強められる。英語の詩としては、何かこの歌の背景にある物語のようなものが想像できるものになる。それはきっと、この歌を「衣干すてふ」として愛誦してきた「百人一首」の読者たちが、持統天皇や、さらにその前の神話の時代に思いを馳(は)せた姿勢に通じるのではないだろうか。