バンコク「中国製」高層ビル倒壊でも巻き添えに…「悲運どこまで」ミャンマー国民の絶望

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現状伝わらぬ震源地

 ミャンマーの震源地であるザガイン管区は、クーデター直後から、軍事政権に対する最も激しい抵抗運動が展開されたエリアだった。筆者がかかわるYouTubeチャンネルでは、毎週、ミャンマーの速報を伝えている。クーデターから約2年、毎週のようにザガイン管区での国軍の弾圧や、それに抵抗する民主派のPDF(国民防衛軍)の動向を伝えてきた。

 国軍の行動は残忍で、まして同じ民族への仕打ちとは思えないものだった。村民を拘束し、侵攻する国軍の先頭を歩かせた。人々を人間の盾に使ったのだ。さまざまな村で焦土作戦が繰り広げられた。村は完全に焼き払われ、そこから逃げ遅れた老人や子供の遺体が発見されることは珍しくはなかった。通信手段は完全に遮断されていた。

 3月29日、国軍系の国営テレビは、今回の地震の死者は1000人を超え、けが人は2300人を超えていると発表した。しかし死者のうち、694人はザガイン管区に隣接したマンダレーのものだ。震源地のザガイン管区はそれ以上の犠牲者が出ていると思われるが、通信手段が絶たれているため、実情が伝わっていない可能性が高い。

 マンダレーに関しては、惨状を伝えるさまざまな映像が流れはじめている。マンダレー南西エリアとザガイン管区の間を流れるエーヤワディー川に架かるアヴァ・ブリッジは完全に崩落した。マンダレー市内ではビルが倒壊する映像が伝わってきている。

 しかしザガイン管区の様子はまったくといっていいほど伝わってこない。日本にいるザガイン管区出身のミャンマー人Mさん(38)に訊いてみた。

「現地と連絡はとれません。国軍に抵抗する勢力も壊滅してしまったかもしれない。国軍はこの状況を喜んでいるでしょう。民主派のエネルギーを地震が奪ってしまったようなものですから。ミャンマーの悲運はどこまでつづくんでしょう」

 国軍は地震が起きた日の午後、ザガイン管区への空爆を行っている。

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954(昭和29)年、長野県生れ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』でデビュー。『ホテルバンコクにようこそ』『新・バンコク探検』『5万4千円でアジア大横断』『格安エアラインで世界一周』『愛蔵と泡盛酒場「山原船」物語』『世界最悪の鉄道旅行ユーラシア横断2万キロ』『沖縄の離島 路線バスの旅』『コロナ禍を旅する』など、アジアと旅に関する著書多数。『南の島の甲子園―八重山商工の夏』でミズノスポーツライター賞最優秀賞。近著に『僕はこんなふうに旅をしてきた』(朝日文庫)。

デイリー新潮編集部

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