バウアーがDeNAに復帰!「一旦帰国→再入団」の“歴代助っ人”は活躍できる? 過去には母国でレストラン開業後に復帰した“悪魔的”人気選手も

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復帰後、外国人では初の主将も務めた

 デストラーデ同様、退団の3年後に復帰したのが、ロッテのフリオ・フランコである。

 レンジャーズ時代の1991年にメジャーの首位打者になったフランコは95年、ロッテの新監督、ボビー・バレンタインに誘われて来日。同年は打率.306をマークし、一塁手のベストナインとゴールデングラブ賞に選ばれた。

 だが、バレンタイン監督が広岡達朗GMとの確執から退団すると、フランコも「いつか必ずロッテに戻って来る」の言葉を残して帰国した。

 その後、2年間メジャーでプレーしたフランコは41歳になった98年、野球に対する真摯な姿勢から学ぶことが多かったナインの強い要望を受け、再びロッテの一員となり、外国人では初の主将も務めた。

 同年は打率.290、18本塁打、77打点と活躍し、二塁手のベストナインに選ばれたが、チームがNPBワーストの18連敗を喫して最下位に沈んだことから、「マリーンズに骨を埋める覚悟」も空しく、またしても1年で退団帰国となった。

古巣復帰を喜び、復帰初戦の第1打席でホームラン!

 帰国後、最短で古巣復帰をはたしたのが、オリックスのトロイ・ニールである。来日2年目の1996年に“不動の4番”として本塁打王(32本)、打点王(111打点)の二冠に輝き、チームを日本一に導いたニールは翌97年も25本塁打、98打点と結果を出したが、契約条件が折り合わず退団となった。

 帰国後のニールはメジャーに復帰できず、マイナーで不遇の日々を送っていた。

 一方、古巣・オリックスも新4番・CDが左手甲骨折で開幕から欠場するなど、貧打が災いして開幕から2勝11敗の借金地獄に陥った。困りはてた球団は98年4月、退団からわずか半年でニールを呼び戻した。

「チームメイトもよく知っているし、働きやすい環境」と古巣復帰を喜んだニールは、チーム合流後の初戦、5月8日の近鉄戦で、いきなり1打席目に先制ソロを放つなど、28本塁打、76打点の好成績を残した。

 一方、投手では、ジェイソン・スタンリッジ(ソフトバンク→阪神)、ブライアン・シコースキー(ロッテ→巨人→ヤクルト)が帰国を挟み、国内他球団でプレーしながら、いずれも最初に入団したソフトバンク、ロッテに復帰、ブランクの長さ(スタンリッジは5年、シコースキーは4年)を感じさせずに活躍したことも記憶に新しい。

「開幕からフルスロットルでやっていきたい」と意欲を新たにしたバウアーが、今季どんな成績を残すか注目される。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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