尾崎亜美、14歳の観月ありさに提供した難曲や、薬師丸ひろ子が歌う“謎の歌詞”を解説 「“1回で覚えられない曲を作ってほしい”と言われて……」
この連載では、昭和から平成にかけて、たくさんの名曲を生み出してきたアーティストや関係者にインタビューを敢行。令和の今、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービス(サブスク)で注目されている人気曲をランキング化し、各曲にまつわるエピソードを深掘りすることで、より幅広いリスナーにアーティストの魅力を伝えていく。
【写真】ご本人は「提供作のセルフカバーばかりでしょ」と言うけれど…実はそんなことない「尾崎亜美」人気曲ランキング
全4回にわたり、シンガーソングライター・尾崎亜美のインタビューを展開してきたが、本記事が最終回となる。第3弾では、ヒット中に入院していてテレビで歌えなかった「マイ・ピュア・レディ」や、令和になって海外で大量に聴かれ始めた「純情」について語ってもらった。今回は、意外な歌唱曲や、提供曲とセルフカバー曲がまったく同じ曲目・曲順で構成されたCD『TWIN-SONGs~尾崎亜美作品集』について伺っていく。
14歳の観月ありさにハイレベルな楽曲「伝説の少女」を提供したワケは
近年、尾崎は海外で評価されている楽曲が多いが、あえて日本を中心に根強い人気を誇る作品について尋ねてみたい。まず、Spotify再生回数ランキング第9位は、1988年にフジテレビ系アニメ『陽あたり良好!』(原作:あだち充)のオープニングテーマに起用された「悲しみはBEATに変えて」。野球を題材とした内容ゆえか、疾走感あふれるナンバーに仕上がっている。尾崎自身による多重コーラスやシンセサイザーを多用した’80年代後半らしい作風で、ヒットを意識していたことが容易に想像できる。
「私の中では、たまにですが、“ヒット狙い”のブームが起こります。この曲もそう。確か、レコード会社の方からも“よくヒットしているよ”と褒められました。そのわりに当時、日本武道館のイベントで一度歌ったくらいで、それ以来ほとんどやっていないんです。今後歌っていくかどうかは、私に若いころの元気があるかどうかですね(笑)」
続いて第10位は、‘91年に観月ありさに提供した「伝説の少女」のセルフカバー。ラグジュアリーで心地よい雰囲気に包まれたミディアム調の楽曲で、当時14歳の女の子が歌っていたとは思えないほどだ。観月が歌手を志したきっかけが尾崎亜美作詞・作曲の「オリビアを聴きながら」(歌唱:杏里)だったために、尾崎に発注があったそうだが、なぜこんなにハイレベルな曲を新人に作ったのだろうか。
「彼女の事務所の社長さんから、“1回では覚えられないような曲を作ってほしい”と頼まれたんですよ。“すぐに『イイ!』って言われなくてもいいから、何回も聴きたい、そして聴いているうちに好きになっちゃうような難しい曲を書いてくれ”って」
そんな要素が詰まった楽曲だからこそ、まさにサブスク時代のヒット作にふさわしい。
「曲を作るにあたり、ありさちゃんとお話したら、お母さんの影響で、’60年~70年代の洋楽を小さい頃から聴いていたんですって。それがヒントとなって、“荒野にたたずむ少女が、母の聴いていた歌を道しるべに、未来へと誘われていく”というイメージが浮かびあがったんです。その後、間奏部分のコーラスに『You’ve Got a Friend』や『Stop! In the Name of Love』など懐かしい洋楽のタイトルをズラズラっと並べる、という仕掛けも作りました。これも、何回も聴いてもらえれば分かりますよ。タイトルに関しては、まさか14歳の子が自分で“伝説の少女になりたい”なんて思わないでしょうけど、最初に彼女を見た時、頭上に『伝説の少女』というフレーズが見えたんですよ」
こうして、難しい注文を受けて作られた「伝説の少女」は、オリコン最高5位、累計売上22.7万枚以上を記録。観月は“アイドル冬の時代”にもかかわらず、見事にブレイクを果たした。
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