“最強の王者”が人知れずこの世を去っていた… 「藤井則和」が日本卓球界の表舞台から姿を消した理由(小林信也)

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日本人プロ第一号

 藤井がその後、日本卓球界の表舞台から姿を消したのは、幾度もトラブルを起こし、そのたび制裁を受けたことが直接的な要因だ。

 52年、世界王者になった後に開かれた日英卓球大阪大会を藤井が欠場。これが多くの役員の辞任問題にまで発展し紛糾した。

 さらに、藤井の名前を冠したラケットが売り出され、アマチュア資格を失った。

 藤井は活路を求めてプロに転向せざるを得なかった。

「日本人卓球プロ第一号」と言えば威勢がいいが、プロの公式戦は皆無。それは事実上、競技からの引退を意味した。

 藤井は、世界選手権で戦ったバーグマンに誘われ、ショー卓球の世界ツアーに参加した。日本では69年にプロ卓球を旗揚げし、テレビ中継もされた。しかし、経営的なトラブルもあって頓挫した。

 しばらくアメリカで暮らし、晩年は日本に戻ったが卓球界とはほとんど縁がなかった。92年11月、大阪府茨木市の病院で亡くなった。67歳だった。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年3月27日号掲載

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