“最強の王者”が人知れずこの世を去っていた… 「藤井則和」が日本卓球界の表舞台から姿を消した理由(小林信也)

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 52年、日本が初めて参加した世界選手権に藤井も出場。林忠明と組んだ男子ダブルスで優勝し、史上初の快挙を日本卓球界にもたらした。決勝戦の相手は当時最強だったイギリスのペア。いずれもシングルスで世界王者の経験を持つジョニー・リーチとリチャード・バーグマンだった。

 優勝の喜びを伝える神奈川読売新聞(林の地元)は《戦法変えて成功》の見出しでこう報じている。

〈藤井、林組は戦法を変えたため勝利を獲得した。ストレートで二ゲームを失ってから二人はちょっとささやき交わし、それからは林はもっぱら返球につとめスマッシングは藤井にまかせた。藤井は時々ドロップ・ショットを使ってペースを変えたりした〉

 ここで一つ疑問が浮かぶ。52年の世界選手権の男子シングルスで優勝したのは藤井でなく、同じ日本選手の佐藤博治だ。この背景を伊藤が解説してくれた。

「佐藤は全日本ではせいぜいベスト8程度の選手です。藤井と戦えば、簡単に負けるくらい実力差があった」

 それなのに、藤井でなく佐藤が世界王者になった。

「その秘密はラケットにありました。藤井はヨーロッパでも主流だった〈一枚ラバー〉。凹凸のある面を表側にして貼る一般的なスタイルです。佐藤は、日本で開発されたスポンジラバーを使ったのです」

 卓球用品メーカー・バタフライHP内「卓球レポート」に興味深い記述がある。

〈1950年頃、かつて日本軍が軍用機の燃料タンクを防弾・保護するために使用していたスポンジが卓球ラバーに転用されたのが始まりといわれる。(中略)

 1952年世界選手権ボンベイ(現・ムンバイ)大会の男子シングルスで優勝し、日本人初の世界チャンピオンとなった佐藤博治は、7ミリのスポンジから放つ「サイレントスマッシュ」で世界を震撼させた〉

 54年に世界王者となった荻村伊智朗もスポンジラバーの使い手だった。59年に使用が禁じられるまで、日本勢は世界を席巻した。男子団体は54年から5連覇。女子も60年代にかけて6度の優勝を遂げている。

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