62年前に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」…完全黙秘の容疑者に「昭和の名刑事」が突きつけた“アリバイの嘘”

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事件がもたらした教訓

〈被害者の家族から行方不明との届け出がなされたとき、単なる迷子として受理するなど、誘拐事件としての判断が遅きに失し、初動捜査体制が遅れた〉

〈身代金授受に対する事前措置として、接触時において捕捉することの判断は当然ながら、これに対する捜査体制が不十分〉

〈被害者対策の徹底を欠いたきらいがあり、被害者家族を説得し、その意図を徹底して、安心して捜査を進める関係を作る必要がある。さらに、身代金の札のナンバーを控えるべきであった〉(いずれも警察庁刑事教養資料より)

 事件の教訓は、被害者対策だけでなく、刑事警察強化のためにも存分に生かされた。警視庁は捜査第一課内に、誘拐事件に専門的に対処する「特殊班捜査係」を設置(後に企業恐喝や立てこもり事件対応の係も増設)。事件が発生すると、都下の警視庁施設に常駐している特殊班が即応し、被害者宅へ極秘裏に潜入して捜査体制を整える。また、被害者対策に専従する捜査員が心配と恐怖、疲労のはざまで揺れる被害者へ対応する。

 そして、連載第1回でも取り上げた「逆探知」だが、この事件が契機となり、郵政大臣通達が出され、日本電信電話公社(当時)が逆探知に全面的に協力するようになる。そのきっかけは、事件が起きた昭和38年10月4日の閣議でのこと。「受信者の了解があり、脅迫者を突き止めるためなら通信の秘密を犯すことにならない」との結論によってだった。

〈この閣議了解後、同公社は逆探知に協力するようになったのだが、その四日後、吉展ちゃんの自宅に若い男から電話があった。「吉展ちゃんを預かっている。百万用意しろ」という内容である〉(三木賢司著『事件記者の110番講座』毎日新聞社刊より)

 事件が起きてから、被害者宅にはいたずら電話が相次いでいたことは第1回でも紹介したが、中には犯人を名乗り、身代金を要求するケースもあったのである。

〈この男は執ようだった。電話を何度も繰り返し、金を要求した。警視庁は当初、誘拐の真犯人ではないと取り合わないでいたが、悪質として吉展ちゃんの自宅を管轄する浅草電話局に逆探知を要請し、新たな電話が入るのを待ち構えた。翌日午前八時半すぎ、男から十一回目の電話が入った。「あと三十分で金を作れ。吉展ちゃんはおれとボスが助けて育てている」と言った会話を続けているうちに、大田区仲六郷の公衆電話から掛かっていることが判明。男はパトカーで急行した蒲田署員に捕まった〉(同)

 小遣い稼ぎに悪さを考えた、23歳の溶接業者だった。これが、「逆探知による検挙第一号」となった被疑者である。

【第1回は「身代金だけ奪われて“吉展ちゃん”は見つからず…『戦後最大の誘拐事件』で大失態を演じた警視庁が“東北なまりの男”にたどりついた理由」……誘拐事件への初動が遅れ、失態を重ねた捜査の舞台裏】

デイリー新潮編集部

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