62年前に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」…完全黙秘の容疑者に「昭和の名刑事」が突きつけた“アリバイの嘘”
ついに自供
この時、捜査に加わったのが「昭和の名刑事」として知られる平塚八兵衛氏だ(当時は巡査部長)。同氏は福島県に出向き、小原が主張していたアリバイに嘘があることを見抜く。さらに小原の身辺捜査を進めたところ、判明しただけで借金が約22万700円あり、支払い能力もなかったことが分かった。また、当時、小原が寝泊まりしていた情婦への取り調べで、身代金が奪われた38年4月7日の午前2時ごろに帰って来て、その場で20万円を渡されたことを改めて自供した。また、小原は足が不自由だが、行動は素早く身軽であることも明かした。
小原への取り調べは昭和40年6月23日から始まった。小原も心に期するものがあったのか、事件当時のことを改めて問われると、何事か考えながら供述し、言葉に詰まると下を向いたまま黙ってしまうこともあった。そして、焦点となっていた20万円超の借金について追及されると、完全黙秘に。
7月3日。警視庁はこの日を持って小原への取り調べを打ち切り、継続捜査に切り替える方針を固める。しかし、小原が犯人であると確信している捜査員たちは納得がいかない。そこで、平塚氏は自身が調べてきた福島県でのアリバイの嘘をつき付けた――。
7月4日早朝。捜査員たちは、早稲田にある機動捜査隊分駐所に極秘で招集された。前日の夜、小原は自供した。調書を改めて作成し、これまでの捜査資料を整え、営利誘拐での逮捕状を請求するための手続きである。逮捕後、小原はこう供述した。
「胸がいっぱいでうまく話せないが、事実は否定しない。今までうそをついてきて、皆さんや被害者に申し訳ない。水鉄砲を持った子どもを連れて、歩いて南千住の野球場に行ったが、子どもが家に帰ると言い出した。引き返して南千住のA質店までもどってくると、小便をしたいというので、暗がりでさせようと思い、電車通りから路地のようなところを入った墓地で小便をさせた。そのあと、子どもが泣き出したので、墓地の中でしばらくだっこしてだましていたら眠ってしまった」(前出・手記より)
そしてそのまま吉展ちゃんの首を絞め殺害。目の前にあった墓の石を上げて納骨所に遺体を遺棄した――捜査員は墓地へ急行。翌5日午前4時15分、荒川区内の寺にある墓地の墓から白骨化した吉展ちゃんを発見した。
[3/4ページ]