身代金だけ奪われて“吉展ちゃん”は見つからず…「戦後最大の誘拐事件」で大失態を演じた警視庁が“東北なまりの男”にたどりついた理由
奪われた身代金
報道を受け、警視庁は犯人から脅迫電話がかかってくることを期待していたが、実際はいたずら電話ばかり。その中で午後5時48分、かなり酒に酔っている感じで、強い東北なまりの男の声で、
「新橋駅前の馬券売り場に50万円持ってこい。週刊誌を持っているのが目印だ」
との電話があった(通話時間は約55秒)。現金を持った吉展ちゃんの父親と捜査員5名が現場に急行し、張り込んだが、犯人らしい姿は確認できなかった。ここで、犯人が電話を利用して身代金を要求していることから、発信場所を探知するため、電話局(当時の呼称)に協力を求め、捜査員を常駐させた。しかし、
〈(逆探知は)技術的には可能だったが、NTTの前身、日本電信電話公社は憲法が「通信の秘密」を保障していることを重視、逆探知の作業を拒んでいたのである〉(三木賢治著『事件記者の110番講座』毎日新聞社より)
この事件で犯人は、計8回の脅迫電話をかけている。3回目の通話時間は3分50秒、最後のそれでも2分55秒もあり、当時の技術でも逆探知で発信元を突き止めることは可能だったかもしれない。
被害者宅にはいたずらも含め、事件に関係した電話が1日に十数件かかってきた。だがその中で、東北なまりで声の特徴が酷似し、4月2日から毎日電話をかけてくる一人の男に、捜査員は注目していた。
「地下鉄入谷駅の切符売り場に靴下の片方を置くから、金をボロ紙に包んで置け」
という4回目の脅迫電話のあった4月5日、身代金目的の誘拐事件であることが明白になったとして、警視庁は36人の捜査員からなる特別捜査本部の設置を決定。捜査体制の強化を図る――はずだったのだが。
「坊やは寝ている、元気だ」(4月6日午前1時40分)
「上野駅前の住友銀行の前にある電話ボックスの中に金を置いておけ、今すぐ持ってくるように」(同午前5時35分)
身代金を持った吉展ちゃんの母親、周囲を固める捜査員6名が急行するが、犯人らしい男は現れない。そして、7回目の脅迫電話は4月6日午後11時12分にかかってきた。
「坊やのくつは、黒ビニールのバンド付き。今度は靴を置く」
次の電話で具体的な身代金受け渡し場所の指示が来る――そうにらんだ捜査本部では6人の捜査員が被害者宅に詰めた。そして、日付の変わった7日午前1時25分――。
「お宅んとこまっすぐ来るとね。ええ。あの昭和通りの方へ向いて突き当り、品川自動車っていうのがあるからね。その前から三番目の車に、小型四輪ね。そのあとの荷台にあの品物、のっかっていっかんね」(前出・手記より)
捜査員は吉展ちゃん宅の裏窓から現場へ駆け足で向かう。というのも、指定された自動車会社からは被害者宅が見通せる場所にあったため、犯人が見張っていることを考え、複数の捜査員による車での移動を避けたからだった。
吉展ちゃんの母親は身代金を持ち、弟が運転する車で自宅を出発。電話で言われた場所に、子ども用の黒色ビニール靴が置いてあったので、引き替えに、身代金をそこに置いて、自宅に戻った。この時刻が1時37~38分。捜査員の到着は1時40分だった。既に、身代金はない。わずか2~3分の間に金を奪い、犯人は姿をくらましたのだった。
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