八百長と揶揄され、「プロレスなんて」という偏見をひっくり返そうとした「猪木イズム」

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語り継がれる試合

――昔のプロレスと今のプロレスの決定的な違いは何でしょうか?

 プロレスファンに見せているものが、本質的に違うと思います。兄貴は、プロレスを通じて時代と戦う姿をファンに見せた。八百長と揶揄され、「プロレスなんて」という偏見をひっくり返そうとし、何十年経っても語り継がれるような意味のある試合を残しました。

――「1、2、3、ダー!」にはどういう思いが込められているんでしょうか。

 始まった時期は、正確には分かりません。ただ、勝利の後に「ダー!」と雄叫びをあげるということは以前からありましたから、いつしかファンがそれに呼応し、自然発生的にフレーズが誕生したものだと思います。兄貴は、他人の知恵やアイディアをうまく取り入れて、それを自分のものにするというセンスに長けていました。ファンとの共同作品として生まれた「ダー!」は気に入っていたのではないでしょうか。

――ビンタにはどういう意味があったのでしょうか。

 あれは「気合を入れる」という意味があります。予備校の男子学生が本気の正拳突きを兄貴の腹に入れたところ、反射的に張り手で返してしまった“ハプニング”が始まりです。兄貴はビンタをする前に「お腹に力を入れろ」と言って、指でお腹をつついて、準備ができたところでパチンとやるんです。ただ、ダラっとした状態でやると怪我をするので、しっかり力を入れた状態で受けるのが大事なことだったと思います。

――ご自身はビンタを受けたことがありますか?

 いや、それはないですね。もし僕にやるとしたら、思いっきりやってくると思うので、さすがに無理ですね(笑)。

――改めて、お兄さんについて今思うことを教えてください。

 いや、もう感謝ですよ。本当にいろんなことを、兄貴のおかげで勉強させてもらって、畜産から人工授精、モーターの開発で幅広い仕事に就けた。そういうチャンスを僕に与えてくれたことに対して感謝しています。いろんな人とも会わせてもらいましたしね。憎しみなんか1つもない。本当に感謝です。僕にとっては本当にものすごくいい兄貴でした。

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 第4回【「40億円で始めるんだ」豪快に事業失敗も…アントニオ猪木の弟が「先見の明はあった」と語る理由】では、政治家・事業家としてのアントニオ猪木に迫る。

猪木啓介氏
1948年、横浜市出身。猪木家11人きょうだいの末弟。1957年、一家でブラジルに移住。1971年、新日本プロレスに入社し営業を担当する。アントニオ猪木の闘病生活を支え、最期を看取った。

デイリー新潮編集部

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