「40億円で始めるんだ」豪快に事業失敗も…アントニオ猪木の弟が「先見の明はあった」と語る理由

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1989年の参議院選で初当選

 プロレスラーのアントニオ猪木は、1989年の参議院選で初当選を飾る。46歳の時だ。議員になってからは、元秘書から脱税疑惑を告発されるなどトラブルが相次いだ。一方で、総合格闘技でイベントをしかけるなど様々な事業も展開する。『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社)の著者で、弟の猪木啓介(77)氏は、どのように見ていたのか。(全6回の第4回)

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――参院当選を聞いた時はいかがでしたか。

 政界進出はやはりうれしかったですね。親父も一時、政界にいたことがありましたから。

――政治家としてのお兄さんをどう見ていましたか。

 僕から見たら、スポーツ平和党というよりも、やっぱりできることなら自民党に入ってほしかったですね。自分1人の力ってのはたかが知れているし……。色々とパフォーマンスはできるんですが、1人では何もできないのが、やっぱり政治の世界ですよ。

 今も、いくら野党が大きな声上げても、なかなか実行できないのはそのせいであって、やっぱり政権を取るような党に入るのが理想だったのじゃないかと。あの時の兄貴だったら入れたんですよね。自民党の先生たちには知り合いが多かったんだから。

 でも、当時は周りで支える人がいなかった。僕はちょうどブラジルにいたから、何もできませんでした。周囲にきちんと意見を言える人がいなかったんじゃないかと思います。

――お兄さんが政治の世界で残した功績として、大きなものは何だと思われますか。

 1990年、湾岸戦争が起こる直前に、イラクに渡って人質となっていた邦人の解放を実現させたことですね。あれはいちばん大きな功績じゃないかな。他の人がやれないことをやってきたわけですから。

――政治の世界はドロドロしたものだという印象もあります。

 そうですね。やっぱり、スタッフが良くないとダメですね。特に秘書っていうのはすごく大事だと思います。何かやるにしろ、秘書の人がどんどん動かないと進みませんから。兄貴のところには残念なことに、変な関係の人が入ってきたりして、おかしなことになったりもしました。

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