「書いてあることはすべて事実」 アントニオ猪木の弟が覚悟の執筆 波乱万丈の闘魂人生

エンタメ

  • ブックマーク

兄貴の言うことは絶対

――お兄さんの生き方で、特に尊敬できる部分はどこですか。

 練習に対する熱意は本当にすごかったです。ブラジルにいた10代の頃は、砲丸投げでオリンピックに出るという目標を持ち、夜遅くまで練習していました。田舎で電気もないところです。私がランプを持って、距離を測る手伝いをしたこともありました。

――理解できなかった部分はありますか。

 特にないですね。兄貴の言うことは絶対でしたし、兄弟間で下の者が上に意見を言うことはなかったので。

――いちばん嬉しかった瞬間は何ですか。

 ブラジルにいた時に、兄貴が参議院議員に当選したという報せを受けたことですね。遠く離れていましたが、とても嬉しかったです。ブラジルでもニュースになり、テレビ局からインタビューを受けました。

――亡くなられた時は、どのようなお気持ちでしたか。

 もっと早く治療を受けていれば、もう少し長生きできたのではないかと悔しい気持ちがありました。私は医療関係の仕事もしていたので、もっとできることがあったんじゃないかと考えてしまいます。

 ***

 第2回【「おいアゴ」「ブラジルの猿」と罵倒され…猪木が力道山から強要された「一升瓶の一気飲み」】では、ブラジルでの壮絶な生活を明かしている。

猪木啓介氏
1948年、横浜市出身。猪木家11人きょうだいの末弟。1957年、一家でブラジルに移住。1971年、新日本プロレスに入社し営業を担当する。アントニオ猪木の闘病生活を支え、最期を看取った。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。