「書いてあることはすべて事実」 アントニオ猪木の弟が覚悟の執筆 波乱万丈の闘魂人生

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波長が合っていた

――世間のイメージと実際の素顔には違いがありましたか。

 僕は身内ですから、一般の人が見る兄貴とは違う印象を持っています。兄貴が何を思っているのか、何をしてほしいのかは、ずっと一緒にいたからこそ分かる部分があるんです。会話の中でも、「お前、何も言わなくてもいいよ、分かってるから」と言われることが多くて。それで僕もあまり多くを語らずにきました。

――“あうんの呼吸”のような関係だったんですね。

 そうですね。波長が合っていたと思います。兄貴が崇教眞光に入っていた時、「お前も入れ」と言われて僕も入りました。手かざしをする宗教だったんですが、やる側と受ける側の波長が合わないと効果がないんです。でも、兄貴と僕がやると、ものすごく強く感じるんですよ。だから兄貴からも「おい、ちょっと背中やれよ」と頼まれることがありました。そういう意味でも、波長が合っていたんじゃないかと思います。

――世間的には豪快なイメージが強いですが、実際にはどのような方でしたか。

 優しかったですね。とにかく優しい人でした。話し方にも優しさがありましたし、それは母親の教育の影響が大きかったと思います。母は「人に嫌なことをするな」と常に言っていました。だから兄貴も、いじめのようなことは全くしなかったですね。

――少年時代から晩年まで、その優しさは変わらなかったのでしょうか。

 変わらなかったですね。一貫していました。

――逆に、変わった部分はありますか。

 兄貴は意外と横着なところがありました。練習はすごく熱心でしたが、自分でやれることも人に任せるようになっていきましたね。それはプロレス時代から付き人がなんでもやってくれる生活だったからだと思います。議員になってからも同じでしたね。だから、僕は「何でも人に頼っていたら認知症になるよ。自分でやらないとダメだよ」と何度も言いました。

――それに対して、お兄さんは何か反応されましたか。

 いや、何も言わずに黙っていました。でも、分かってはいたんでしょうね。健康についても、僕が「水を飲んだ方がいい」と言うと、少しずつ実行している面はありました。

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