常連バー店主が明かす「志村けんさん」の“飲みっぷり” 「毎回違う女の子を2~3人連れてきた」「酔った勢いで…などという振る舞いとは無縁」

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 不世出のコメディアンが没して5年。当時、猛威を振るっていた新型コロナウイルスに斃(たお)れた志村けんさん(享年70)は、プライベートで酒と女性をこよなく愛してきた。そんな彼の在りし日の姿を、本人が足繁く通った街の一角にあるバーのオーナーが初めて明かした。

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地味なジャンパーにデニム姿で

 志村さんが亡くなったのは2020年3月29日。倦怠感を訴えて入院してから9日後のことだった。

 生前は東京・麻布十番を根城に、若い女性を連れて食事や酒を楽しむ志村さんの姿がしばしば目撃されていた。その行きつけの一軒だったバー「THE BEACH」を経営する伊藤修義氏によれば、

「志村さんが初めて来店したのは亡くなる10年前、2010年だったと思います。うちは場所柄、芸能人の方も多いのですが、志村さんは誰かの紹介でもなく、夜10時ごろ、突然ふらりといらっしゃいました」

 最初は新客の“正体”に気付かなかったといい、

「アポロキャップを目深にかぶり、地味な色合いのジャンパーを着て、デニムパンツにスニーカー姿。腰をかがめながら入ってきたのでご老人かと思いました。後ろから年齢的に不釣り合いな若い女の子が2人ついてきた。その“ご老人”はカウンター前まで来て『ここ座っていい?』と尋ね、女の子たちを両脇に座らせてから真ん中に腰を落ち着かせました。そこで私は初めて志村さんだと分かったのですが、お忍びだろうからと、知らぬふりを通しました」

隣には“アイドルの卵”のような女性

 席につくと志村さんは、

「唐突に『芋(焼酎)は置いてある?』と仰ったので、黒霧島があると言ったら、ロックで飲みたいとのことでした。一方で、両脇に座ったアイドルの卵のような雰囲気の子たちにはカクテルを勧めて、終始ご機嫌でした」

 その女性たちには耳元でささやくように話しかけ、

「そのたび彼女らはゲラゲラと笑っていた。といっても、『今度あの店に行こう』などというたわいもないやり取りでした。うちはソウルミュージックバーなのですが、志村さんは『こんなところ(麻布十番)にもあるんだね』と、興味を持たれた様子で、その日は2時間ほど、ロックを4~5杯飲んでお帰りになりました」

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