28年前の開幕戦で起きた奇跡!前年1安打だった「リストラ選手」が巨人のエースから放った“驚異の3打席連続弾”
プロ野球ペナントレースが3月28日に開幕する。開幕戦は143試合のうちの1試合に過ぎないが、1994年の西武・伊東勤の逆転満塁サヨナラ本塁打(近鉄戦)のように、開幕戦で飛び出した劇的な一発がチームを勢いづけ、そのまま優勝につながった例もある。そして、97年にヤクルト・小早川毅彦が巨人のエース・斎藤雅樹から放った3打席連続弾も、“野村ヤクルト”の3度目の日本一を呼び込んだ象徴的な3連発として、今もファンの記憶に残っている。【久保田龍雄/ライター】
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「何でお前は試合に出してもらえんのや?」
小早川といえば、サンケイスポーツ専属評論家として、先日、東京ドームで開催された「MLB東京シリーズ」でも積極的な活動を見せている。彼の現役時代を知らない世代からすれば、評論家としての印象が強いだろうが、今回の記事では、奇跡的な大活躍を振り返ってみたい。
1984年にドラフト2位で広島に入団した小早川は、1年目から7年連続二桁本塁打を記録。87年9月20日の巨人戦では、投手生命を賭けて渾身の直球勝負を挑んできた法政大の先輩・江川卓から劇的な逆転サヨナラ2ランを放ち、引退を決意させたエピソードでも知られる。
だが、“赤ヘルの4番”も、30歳を前にした1991年ごろから野村謙二郎、前田智徳、江藤智ら若手の台頭に押され、年々出番が減っていった。
そして、出場わずか8試合に終わった96年オフ、ついに戦力外通告を受けた。チームの功労者に対し、球団は地元テレビ局の解説者の仕事を斡旋してくれたばかりでなく、将来はコーチとして呼び戻すことも約束した。
11月で35歳。年齢的にも潮時と言えたが、シーズンの大半を2軍で過ごした小早川は「もう一度1軍でプレーしたい」の思いを断ちがたく、他球団で現役続行を希望した。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、ヤクルトだった。出場機会が少なくなった数年前から、ヤクルト戦で野村克也監督と顔を合わせると、「何でお前は試合に出してもらえんのや?」と声をかけてくれた。「ひょっとしたら、自分に興味を持ってくれているのでは?」の期待感とともに、「この機会にID野球を学んでみたい」という気持ちもあった。
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