アルコール依存、万引き、自宅での焼死… 「パ・リーグの伝説」たちの寂しすぎる晩年
老人による万引き事件は通常ならばニュースとして報じられることはない。しかしその老人がかつての大投手だったことで大きく扱われてしまったのが、米田哲也・元投手(87)のケースだ。阪急ブレーブスなどに在籍し、歴代2位、通算350勝をあげた大投手が、なぜ缶酎ハイ2本を盗む必要があったのか。背景には金銭的な困窮があったのでは、という見方については関連記事【万引き逮捕の350勝投手「米田哲也」容疑者 スナック経営に失敗 自宅マンションは税金滞納で差し押さえ 競売にかけられていた】に詳しい。
この数年、パ・リーグの伝説的な選手たちの淋しい晩年を伝えるニュースが続いている。往年を知るファンは何とも言えない気持ちになるのではないか。(デイリー新潮2022年11月22日、2024年01月19日記事をもとに再構成しました。年齢肩書は当時のまま)
【写真】 成立していたら球史が変わっていた可能性も…米田哲也氏とのトレードが取り沙汰された「第1回WBC日本代表チームの監督」といえば
村田兆治さんの晩年
2022年11月11日、自宅での火事で亡くなったことが伝えられたのは、村田兆治さん(享年72)。
「火元がない2階で出火し、村田さんは隣室で床に座った状態で発見され、警察は端から不審がっていました。一酸化炭素中毒死でしたが、出火時、眠っていれば遺体はベッドで見つかるし、逃げれば床に倒れているものです。さらに、火元のリビングから少量の油も検出されています」(警察関係者)
村田さんは近年、この家で一人暮らしだった。
「十数年前、村田さんの奥様から電話で、“私も忙しいし、主人も出たり入ったりだから、自治会を抜けたい”というお話があり、自治会の電話番号を案内しました。その翌月くらいから、回覧板にあった名前がなくなっていました」
そう話すのは近所の女性で、それからしばらくして、妻の姿を見なくなったという。
亡くなる2カ月前の9月、村田さんは羽田空港の保安検査場で暴行騒動を起こし、現行犯逮捕された。元ロッテの強打者で監督も務めた有藤通世氏は当時、事件についてこう振り返っている。
「空港のトラブルが尾を引いている気がしますね。特に村田は、ああいうのを気にするタイプ。すごいショックだったと思うし、自分のことをすごく責めていたんじゃないかと想像します。金田(正一)さんが生きていてくれたら、なんらかの言葉をかけてくれていたかな、と思ってしまいます」
その少し前にも、高いテンションが続いたかと思うと、急に無言になるので「少しうつっぽい」と感じたと話す野球関係者もいる。
家族が近くにいたら励まされただろうが、ひとり思い悩むうちに、あの逮捕劇は村田さんのなかで、家族を犠牲にしてまで一途に築き上げた「すごい村田」が壊れた瞬間、と受け止められてしまったのかもしれない。酒は一切やらないという村田さんは、酒でまぎらわせることもできなかった。
村田さんと親しかったという近所の女性が言う。
「3、4年前には庭で孫とキャッチボールをしてくださったり、と気さくな方で、最近も買い物に行ったり、ゴミ出しをしたり、普通の生活をしていました。でも、この間の事件から引きこもってしまったのか、出かけられないようになって、すごく心配していたんです」
事実、逮捕後は沢村賞の選考委員を辞退し、子供たちを指導することもなくなったという。
大打者の孤独死
村田さんが亡くなった翌年、2023年1月24日にもパ・リーグを代表する大選手が一人、孤独な死を遂げている。南海ホークスなどで活躍した門田博光さん(享年74)。身長170センチながら豪快なスイングで本塁打を量産。通算567本は王貞治、野村克也に続く、NPB史上3位である。
その門田さんもまた、素晴らしいキャリアからは想像できないような孤独な最期が伝えられている。
「晩年は重い病気を患いながらも、一人暮らしを余儀なくされていた。倒れていた門田さんの第一発見者は、病院から“来院予定の門田さんが来ない”という通報を受けて、自宅にやってきた警察官でした」
とスポーツ紙記者。兵庫県内の警備が行き届いた高級住宅地での話である。
南海ホークスなどで活躍した現役時代の成績は、実に輝かしい。2571試合に出場し、通算打率は2割8分9厘。567本塁打と1678打点は歴代3位で、本塁打王を3回、打点王を2回獲得している。
1988年、40歳で本塁打王と打点王の2冠に輝きMVPを獲得すると、「不惑の大砲」ともてはやされた。その年のオフ、南海がダイエーに球団を売却し、福岡へ移転したため、同時期に阪急から球団を買収したオリックスに移籍。そこでも、41歳で33本、42歳で31本もホームランを打った。
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