OP戦首位「新庄日ハム」の“メジャー流”戦略モデルとは エースと主力打者流出も、就任4年目で優勝を狙える理由

スポーツ 野球

  • ブックマーク

“チーム解体”という前途多難のスタート

 当時の3人は不調や年齢による衰えを見せていたのも事実だが、それまでのチームへの貢献度は大きなものがあった。しかし、そんな功労者3人に対して、チームは「他球団と自由に契約していいよ」という意思表示を示したのだ。3人と協議した末に出した結論と報じられたが、日本ではあまり例を見ないドライな対応だった。

 ノンテンダーの判断に新庄監督がどれだけ関与していたかは定かではないが、ビッグボスの1年目は始まる前から険しい船出となった。ただ、それから3シーズンを経て、それらの判断は決して間違いではなかったことを新庄監督は自ら証明しつつある。

 チームの顔でもあった西川遥輝らを放出し、“チーム解体”というスタートを切った新庄監督は、もう一つの思い切った策を打った。打ったというよりも、打たざるを得なかったという方が正確かもしれない。

 それが未知数の若手選手を中心に数年後を見据えてシーズンを戦っていくことだった。つまり、最初の数シーズンを“捨てる”覚悟で若手を育てることを意味していた。たとえば、前年の21年は49試合の出場にとどまっていた万波中正や、鳴り物入りでプロ入りするも、当時伸び悩んでいた清宮幸太郎らを辛抱強く起用。同じくらいの実力なら若手を優先的に試合に出場させ、経験を積ませた。その結果、万波は本塁打王争いに加わるまでに飛躍し、清宮幸も新庄監督の下、3年連続で二桁本塁打を記録するまでに大きく成長を遂げた。その過程での2年連続最下位も新庄監督とすれば計算済みだったに違いない。 

 選手の流動が少ない日本のプロ野球では、基本的にシーズンを捨てることはご法度だ。たとえチームが再建モードであっても、たとえ夏場までに大きな借金を背負っていたとしても、シーズン中に将来を見据えたトレードなどはほぼ行われない。

新庄監督が目の当たりにした低予算チームの戦略

 その対極にあるのがメジャーリーグである。FAによる移籍やトレードが活発なメジャーでは、7月末の期限間際に日本ではまずあり得ない大型トレードが次々とまとまる。翌シーズン以降を見据えたチームはベテランや中堅の主力選手を放出するファイヤーセールを敢行し、代わりに将来有望な若手を上位のチームから獲得する。年俸を削減しつつ、数年後に優勝を狙えるチームを作るための戦略の一つである。

 思い返せば、新庄監督は01年からの3シーズンをメジャーリーグで過ごした元メジャーリーガーである。メッツ→ジャイアンツ→メッツと1年ごとにチームが変わり、2年目のジャイアンツ時代にはワールドシリーズにも出場した。

 そんな“メジャーリーガー新庄”が当時、目の当たりにしたのが、低予算のチームでも戦略次第で頂点に立つことができるという事実だろう。

 たとえば01年は創設4年目のダイヤモンドバックスがヤンキースを破ってワールドシリーズを初制覇。ワイルドカード同士の対決となった02年は、目の前でエンゼルスがジャイアンツを撃破した。さらに03年はワイルドカードから勝ち上がった伏兵マーリンズがヤンキースの足をすくって2度目の世界一に輝いた。

 マーリンズは1997年にもワールドシリーズ制覇を遂げているが、再建と解体を繰り返しながら、2度の栄光をつかんだ奇跡的なチームでもある。その後も、低予算のチームはマーリンズと似た戦略を用いながら数年ごとに上位を狙うケースが少なくない。

次ページ:我慢に我慢を重ねて起用した金の卵が羽ばたいた

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。