“保育士”に転身した元首位打者「高沢秀昭さん」が大谷翔平に伝えたい「無安打で落ち込んでも、子供の顔を見れば忘れられます」
第1回【まもなく投手・打者・パパの三刀流! 「大谷翔平」に“元パ・リーグ首位打者”の保育士がアドバイス「父親が参加すると確実に子育ての質が上がります」】からの続き──。1988年のパ・リーグ首位打者、高沢秀昭さんが保育士を目指すことになったのは、子供たちに野球を教えたコーチとしての経験が大きな影響を与えたという。(全2回の第2回)
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【写真】1988年のパ・リーグ首位打者に輝いた高沢秀昭さんは横浜市内の保育園で、園児たちに笑顔でおやつを配っている
高沢さんはパ・リーグのベストナインに2回、ゴールデングラブ賞に3回輝いた、走攻守全てに秀でたオールラウンダーな選手だった。打者としてのキャリアハイは、打率は首位打者に輝いた88年の3割2分7厘、ホームランは86年の15本、盗塁は87年の27という具合だ。
1992年にロッテからコーチ就任を打診され、高沢さんは現役引退を決めた。そして後進の育成に情熱を傾けていたが、今度は「2010年から少年野球教室である『マリーンズ・アカデミー』のテクニカルコーチに就任してほしい」と依頼された。
「最初は『自分にできるのだろうか』と思ったんです。なぜなら私はロッテの打撃コーチとして、あくまでも現役のプロ野球選手を指導してきたからです。指導のレベルは極めて高く、果たして私の経験や指導法が、野球の経験が浅い子供たちの役に立つかどうか、確信が持てなかったのです」(高沢さん)
ところがアカデミーに飛び込んでみると、最初の想像とは全く違う世界が待っていた。つまり、あっという間に高沢さんは子供の指導に夢中になってしまったのだ。
「アカデミーでは子供の面白さを痛感させられました。キャッチボールの基礎を教えるだけで目を輝かせてくれる。私が手本を示すと『すごい』と驚いてくれる。『野球は楽しいものなんだ』と伝えることに重点を置き、子供たちも楽しくプレーしてくれました」(同・高沢さん)
野球選手と家族の関係
高沢さんの契約は2019年に終了した。その時、高沢さんの子供は大きくなっており、妻には先立たれていた。
「そのため何か仕事を続けたかったんです。そしてアカデミーで子供の指導にやりがいを見出したことがあったので、何か育児に関わる仕事ができないか探してみました。すると保育補助員という仕事があることを知ったのです。文字通り、保育士さんの補助をする仕事で、あちこちの保育園に応募してみたのですが、なかなか縁がない。すると今、私が勤務している『大豆戸どろんこ保育園』の当時の園長が『そんなにやる気があるなら保育士の資格を取ったらどうですか』とアドバイスしてくれて、それならと専門学校に入学しました」
高沢さんは「今、こうして保育士として働いているほどですから、自分が子育てに参加することも好きでした」と振り返る。
「楽しいから野球を続けてきましたが、プロとなると違ってきます。とにかく結果を出さなければなりませんし、契約は1年で更新です。クビになる不安は常にあり、心の底から野球を楽しむことはできません。ところが結婚して子供が産まれると、何のために野球をやるのか明確になります。家族のために野球をやるのであり、野球が家族の先にあるわけではありません。『今日は4打数で0安打だった』と落ちこんで帰っても、子供の顔を見れば忘れることができます。子供のおかげでオンとオフの切り替えがうまくいったという野球選手は多いはずで、大谷選手も例外ではないと思います」
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