【決定的瞬間】凶器の刃先に「刺されたことがわかっていない」顔の村井秀夫が 札束を手にして笑顔の麻原彰晃から5年後の現場写真

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 オウム真理教が起こした事件は数多い。俗に「三大事件」とされているのが、「坂本弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」である。

 このうち14人と最も多くの死者を出した「地下鉄サリン事件」からこの3月で30年がたつ(負傷者約6300名)。なお犠牲者、被害者は「坂本弁護士一家殺害事件」が死者3人、「松本サリン事件」が死者8人、重軽傷者約600人。オウム真理教が戦後最大のテロ集団と評されるゆえんである。

 もっとも、彼らの名が知られるようになった1990年前後の時期には、そこまで凶悪な団体だという認識を持つ人は少なかったのも事実。

 坂本弁護士一家はまだ「失踪事件」として扱われており、オウムの関与は疑われてはいたものの警察も手を出せない段階だった。

 むしろ問題視されていたのは入信を巡るトラブルの方だった。子どもが入信、出家してしまい断絶したといった被害を訴える親が続出していたからだ。

 それに加えて教祖・麻原彰晃の怪しげな超能力アピールや金集めが注目を浴びていたものの、世間の受け止め方としては「よくあるカルト教団の一つ」という範疇(はんちゅう)を大きく逸脱するものではなかった。

「3億円持ち逃げされた」と麻原が110番通報

 むしろ凶暴さよりも目を引いたのは奇妙な「間抜けさ」という面もあったのは否定できない。それをよく表しているのが、札束の詰まった段ボール箱を手にした麻原の写真である。

 写真週刊誌「FOCUS」に掲載されたこの一枚、麻原自身の110番通報に始まる「幹部3億円持ち逃げ騒動」の時に撮影されたものだ。

 1990年2月11日、麻原が杉並区内のマンションから「家から大金を盗まれた」という通報をした。麻原以下、関係者の証言はざっと以下のようなものだった。

「盗まれたのは現金2億2000万円と残高8000万円の通帳。現金は(静岡県)富士宮の教団の総本部から持って来たもので、現金はみかん箱や買い物袋に入れてあった。昨日、幹部の一人がみかん箱のようなものを持って、車で出かけ、それ以来、姿を見せないから、犯人はこの幹部ではないかと思う」

 通報を受けて警察は教団が名指しした幹部の車を緊急手配。ところが数時間後、事態は急展開する。幹部が荻窪署を訪ね、

「勘違いで110番してしまった。現金と通帳は別の場所にあった」

 と弁明したのである。

 当時、麻原自身が同誌の取材に対して語った説明は以下の通りだ。

「現金は党(オウム真理教の政党・真理党)のカネではなく、教団のもので、最初は富士宮に置いてあった。しかし、富士宮は当時、あまり人がいなかった。選挙活動のため、かなりの信者が東京へ出てきていたからです。そこで、経理をまかせている幹部の女性と、もう一人の男性に現金と通帳を東京のある場所へ移すように命じたんです。二人は、まず、それらを問題のマンションへ運び込んだんですが、ここには金庫がないので、男性のほうが気を利かせて、自分一人で私が命じた場所へ移したのです。それを知らない女性幹部が、”なくなっている!と大騒ぎして、私がそれをうのみにし、110番してしまったというわけです」

 この説明に納得する人は少ないだろう。当時取材に出向いた記者とカメラマンもかなり怪しいと思い、その場で麻原ら教団側に「本当にそんなことがあるのか」とツッコミを入れまくったのだという。

 すると業を煮やして教団側が「金が戻って来た証拠」とばかりに実際に札束の詰まった段ボールを記者の前に持ち出した。そこで撮影されたのがこの写真というわけだ。

「ある意味で麻原の俗物性を象徴する写真ですから、後から何度もこの写真を使ったものです。それについて麻原は、教団幹部に“お前のせいだ”と怒っていたそうです」(当時の記者)

 この写真を撮影したのが当時、「FOCUS」に在籍していたカメラマンの鷲尾倫夫氏だ。そして鷲尾氏は5年後、オウム真理教に関する決定的な写真を撮影することとなる。

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