お妃候補に妹の名前が挙がると「ご辞退すべき」 美智子さまと逝去した兄の“知られざる関係”

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今週は2025年3月5日に亡くなった正田巌(いわお)氏を取り上げる。

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“足手まといになってはいけない”と距離を置いて

 上皇后陛下美智子さまには、3人のごきょうだいがいらっしゃる。3歳年上の兄、巌さん、6歳年下の妹、恵美子さん、8歳年下の弟、修さんである。

 父は1959年の御成婚当時、日清製粉の社長を務めていた英三郎さん(99年に95歳で他界)、母は富美子さん(88年に78歳で他界)だ。お妃は旧皇族・華族から選ばれるものと考えられていた時代。祝賀の一方、平民出身だとの冷笑に、美智子さま御自身と正田家の家族はさらされた。

 皇室ジャーナリストの神田秀一さんは振り返る。

「英三郎さんは(日清製粉の)製品や工場については丁寧に説明しても、美智子さまに関する質問は穏やかにお断りになった。堅実、謙虚な御家族で、御成婚後は自分たちが美智子さまの足手まといになってはいけないと距離を置き、ひっそりと暮らしていた。目立ってはならず、おちぶれてもいけない。苦労があってもそれを悟られるようでは無礼になってしまう」

“美智子さまの兄”の呼称

 正田家の長男の巌さんは31年生まれ。東京大学法学部を卒業し、日本銀行に入行した。

 58年、皇太子のお妃候補に妹の名前が挙がると、畏れ多いことでその任に堪えない、ご辞退すべきだと巌さんは考えた。御成婚後、“美智子さまの兄”の呼称がつきまとい、話の種にされる。東京駅で暴漢に狙撃された「ライオン宰相」こと浜口雄幸首相の孫にあたる浜口淑(よし)さんと60年にお見合い。美智子さまの御実家は重荷と先方に懸念を示されたが、62年に結婚。閨閥作りをしていると世間には勘ぐる向きがあり、皇室につながろうと接近してくる人々もいると思い知った。

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