「森保JAPANでは出られないのかな」…「久保建英」が吐露していた「森保監督」との本当の関係 「最終予選での爆発」を支えた3人のW杯戦士とは

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パスは俺に寄越せ

「全然、納得なんてしていなかった。なぜ(森保ジャパンでは)試合に出られないのか…そればかり考えていた」――。バーレーン戦の前の囲み取材で、久保はこれまでの代表での起用法について、複雑な心情を吐露していた。

 森保監督のチーム方針は、全ての選手に「誰が出ても、誰と組んでも機能する」ことを前提に「バトンを渡しながら勝つことにこだわる」ことだ。その方針は揺るがず、就任してから1度も中心選手を作らず結果を残している。

 これまでの日本代表は違った。中田英寿や中村俊輔、本田圭佑ら当時のトップクラスの選手を「代表の顔」としたチーム編成をしてきた。久保はこの系譜に属する。世代別代表からチームの主力として招集されてきた。久保は2016年のU-19(19歳以下)日本代表で中学生(15歳5か月20日)にもかかわらず、日本サッカー史上初、飛び級で招集された。海外移籍を果たし、現在、所属しているレアル・ソシエダでも久保を中心とした布陣になっている。確かに久保の利き足(左)によるボールコントロール、ドリブル、シュート力はトップクラスだ。本人も自信とプライドを持ち、どのチームでも「パスは俺に全てよこせ!」という“俺様プレー”でのし上がってきた。「世代別代表に来ても年上の選手を呼び捨てで呼んでいた」(日本サッカー協会関係者)。

 だから、代表に招集されても久保の表情は常に冴えなかった。チームの軸として起用されないジレンマから苛立ちを隠せなかった。そんな思いがチームに伝わり、メンバー落ちの危機も生じるほどだった。

転換点は……

 久保の評価がそこまで上がらなかったのは、守備への意識の低さという点もある。FC東京に在籍していた時代から、サッカー関係者の間ではその点を指摘する声も少なくなかった。玄人ほど評価は低く、「なぜ久保をマスコミがあそこまで持ち上げるのかわからない」……そう語る日本代表OBもいたほどだ。

 代表で久保は「10番」を背負うことを熱望していた。しかし、現在、その背番号を付けているのは久保と同じ左利きのMF・堂安律(SCフライブルク)だ。堂安が「10番」に選ばれたのは、表向き「早い者順」とされているが、久保と比べ、守備への意識の違いを評価されたとの声も根強い。対する久保は「10番じゃなければ何番でもいい」と、20番を選択。このエピソードも久保の鼻っ柱の強さを物語っている。

 そんな久保にとって、大きな転換点となったのは、21歳で初出場した2022年のW杯カタール大会である。その時点で久保は欧州5大リーグのひとつ、リーガエスパニョーラで公式戦出場を100試合以上重ねていた。しかし、決勝トーナメント1回戦(クロアチア戦)の前に「発熱」で欠場。調整不足を露呈した。当時「僕の今の状態なら個の力で自分を押し通せる」と確信していた大会だったが「勘違いをしていた。見積もりが甘かった」と肩を落とした。森保監督はそんな久保を突き放すことはなく、クロアチア戦に向けて宿舎から出発する際にわざわざ久保の部屋に見舞いに出向いている。当時、久保は記者に述べている。「部屋のベルが鳴ると、出たら(森保)監督でした。僕の風邪がうつるからと言ったけど、監督は“大丈夫”と言って…部屋に入って必ず勝ってくるからと話してくれた」

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