「森保JAPANでは出られないのかな」…「久保建英」が吐露していた「森保監督」との本当の関係 「最終予選での爆発」を支えた3人のW杯戦士とは

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 サッカー日本代表が8大会連続となるW杯出場権を勝ち取った。過去のアジア最終予選では大苦戦を続けてきたが、今回は7戦負けなし(6勝1分)という快進撃、それでも森保一監督は「とりあえず、ホッとした」と安堵の表情だった。第7戦・バーレーン(20日・埼玉スタジアム)は前半押された展開だったが、終わってみれば2-0で勝利。その立役者は先発フル出場した久保建英(レアル・ソシエダ)で、攻守に奮闘を続け、日本の全得点に絡む1ゴール1アシストという大活躍だった。実は、久保と森保監督の2人はこれまで“緊張状態”にあった。代表初招集から紆余曲折の6年間と、久保を支えた3名のW杯戦士について振り返る。

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 圧巻という言葉がピッタリだった。バーレーン戦の後半42分に決めたダメ押し弾に久保本人も「頭が真っ白になるくらい嬉しかった」と、とびきりの笑顔だった。左CKのキッカーを務めた久保はショートコーナーを選択。伊東純也(スタッド・ランス)からの折り返しは、クロスボールを選択してもおかしくないポジィションに来た。それでも久保は角度が全くないところから左足一閃。クロスを予測していた相手GKも全く動けない、久保の「個の力」でしか決められないニアぶち抜きのスーパーゴールだった。興奮した久保は思わずユニホームを脱ぎ捨てて警告を受けた。「何をしようか迷っていた結果、先走っちゃった感じ…(カードを)気にしていたらやっていられないのでね」とここでも笑顔を振りまいていた。

飛び抜けているわけではない

 日本代表で久保は迷い続けてきた。2019年、当時17歳の久保を、史上2番目の若さでA代表に招集したのは森保監督だった。その後も招集こそ続けてきたが、実は森保監督の久保への評価は他の主力と比べて、それほど高いわけではなかった。初招集の際、森保監督はこんなコメントを残している。「皆さん(報道陣)の捉え方は分かりませんが、これまで(日本サッカーの)歴史を支えた選手たちと比べて(久保が)飛び抜けている訳ではありません」。牽制球からのスタート。個人の選手の評価は決して口にしない森保監督にとっては異例のことだった。

「久保については多くのサッカーマスコミが“天才”と囃したてていました。しかし、確かに技術は高いが体力面の不安があった。森保監督は攻守ともに建英には“突き抜けたものがない”と何度も言っていました」(古参のサッカー記者)。

 その評価は代表での起用法にもはっきり現れた。「チーム編成には序列がある」(森保監督)とした上で、久保を控え組に置いた。それどころか試合終了間際のクローザーという、攻撃陣の選手としては屈辱的な起用をすることさえあった。代表での初ゴールは2022年6月のガーナ戦。久保の初選出から3年、17試合を要している。

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