「名古屋妊婦切り裂き事件」はなぜ未解決のまま時効を迎えたのか 切り裂かれた母の腹から取り出された「息子」の“その後”
ハワイへ転居
捜査の動きが止まるのとは対照的に、一命を取り留めた子どもはすくすくと育っていった。
遺族はこの子に、事件のことは知らせていないという。
12歳の時に「週刊朝日」(2000年12月22日号)で母方の祖母が証言したところによれば、孫はスイミングスクールに通い、空手も習っている。「あの子が小さいころは、家族がお母さんの写真も見せないようにしていたようです」。小学校低学年の頃、祖母が家族写真の中の母の顔を指さし、「これ、だあれ?」と問うと、孫は「お父さんの会社のお姉ちゃん」と答えたという。
2001年の「週刊文春」(8月16・23日合併号)によれば、子どもは13歳の当時で、父親と変わらぬ背丈まで成長していたという。父親は取材にこう答えている。
「子どもが物心つく頃から“お母さんはお前の誕生日に亡くなったんだよ”と教えています。息子もなぜ母親が亡くなったのかは私に聞きません。わかっているけれども、あえて私に聞かないかもしれない。もしそうだとすればせつないです。将来事件のことを息子に聞かれても私は教えないと思う」。
実は父と息子はその2年前、ハワイに転居していた。
「新たな人生をスタートさせようと、移り住んだのです。今はただ、どこかに潜んでいる犯人が捕まることだけを望んでいます」
時効成立
その2年後の2003年、発生から15年が経過し、事件は時効を迎えた。投入した捜査員は延べ4万人。しかし、容疑者の特定には至らなかった。
中川署はこうコメントした。
「力を尽くしたが、逮捕に至らなかったのは大変残念。犯人の海外逃亡などによる時効の中断も視野に入れ、今後も情報提供があれば受け付けたい」
当時の新聞には、「丸顔の男が犯人」「捜査の範囲が広くなり、容疑者の割り出しに至らなかった」との捜査幹部のコメントが掲載された。
「女性セブン」2003年4月10日号では、母方の祖父が悔しさを露わにしている。
「時効が来たとはいえ、犯人は、自分の犯した罪の重荷を一生、背負っていくことになります。こういう事件を犯しても平気で生きているような人間だからこそ、娘を殺害したのでしょうし。そう考えると本当に悔しいんです」
孫については、
「こんな不幸はもういい。せめて孫だけは幸せになってほしいと思うしかありません。B男さんも向こう(=ハワイ)で新たに所帯を持ったと聞きました。孫が成人を迎えたとき、事件について話をしたいということでした」
以来、22年。この子は37歳になっている。母の死の真相を知っただろうか。そして影を潜めた犯人は、今なお、ほくそ笑んでいるのだろうか。いつ再びその獣性が蘇ってもおかしくない。最悪の結末に終わった史上稀に見る猟奇事件。現場では、アパートが当時の姿のまま建っているという。
【前編】では、臨月の妊婦の腹を切り裂き、中に異物を押し込むという、おぞまし過ぎる事件の詳細を記している。