妊婦の腹が切り裂かれ、中に「受話器」と「ミッキーマウスの人形」が…1988年、名古屋で起きた“史上最悪の未解決猟奇事件”とは

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青色のマタニティ・ドレス

 当時の雑誌記事からもう少し状況を補足してみよう。A子さんは、手は白っぽいひもで後ろ手に縛られ、電気コタツに接続したままのコードで首を絞められていた。服装は青色のマタニティ・ドレス。ピンク色のジャンパーをはおり、黒い下着と長靴下をつけたまま妊婦帯をまくられていた。お腹は同じラインを2~3回ほど切られ、傷の深さは最深部が2.8センチ。子宮にも上下長さ12センチにわたる切り込みがあり、子どもはそこから犯人によって取り出されたと見られている。子どもは右太ももや左膝などに傷があり、チアノーゼ症状も出ていたが、すぐに病院に運ばれ、輸血を受けて縫合手術、命を取り留めた。そして4月2日には無事退院している。

最初に疑われたのは……

 退院時、雑誌の取材にB男さんはこう述べている。

「私がこの子の母親代わりをしなくてはなりません。妻も私にそうしてくれと言っています。今日も家で仏壇に向かって、この子を連れて帰って来るぞと報告し、君もこの子を守ってくれよと頼んできました。これからは普通の子と同じように育てていきます」(「週刊女性」1988年4月19日号)

 しかし、まず捜査の矛先が向けられたのは、何と遺族である夫・B男さんだった。

 発生から11年後、「新潮45」1999年10月号はこの事件を振り返るレポートを掲載している。それによれば、実はB男さんは事件の帰宅時、ドアの鍵が施錠されておらず、部屋も真っ暗、妻の姿は見当たらないのにまずスーツを着替えていた。また、A子さんの法要の際、B男さんは記者会見を行っている。それに当たり、「家内はワインが好きだったから、ワインを注がせてください」と、報道陣を前にグラスに赤ワインを注ぎ、霊前に供えた。この行為が「芝居がかっている」という印象を捜査陣に与えたという。

 しかし、その疑いは晴れた。その日の午後は会社でデスクワークをし、同僚と一緒に退社していたのである。すなわちB男さんのアリバイは完全に成立した。

 後にB男さんは雑誌の取材にこう答えている。

<潔白が証明されるのに一カ月かかりました。その間世間は、あれは旦那がやったと噂した。私が犠牲者なのに、弱い者いじめにあっているような気分でした>(「週刊文春」2001年8月16・23日合併号)

 このように捜査本部は当初、顔見知りの犯行と見て捜査を進めていた。しかし、捜査は別の展開を見せる。聞き込み捜査から出てきた証言から、ある人物が浮かんできた。「丸顔」と呼ばれる最重要参考人が――。

【後編】では、最重要参考人「丸顔」の行方と、犯人によって取り出された悲劇の子どもの“その後”を詳述する。

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