平均寿命22.7歳、休日は年2日…芝居も観られぬ吉原女郎たちの悲惨すぎる一日と一生
女郎たちが涙を浮かべた理由
浄瑠璃の太夫で「馬面太夫」の異名がある富本豊志太夫<午之助>(寛一郎)の語りを聴いて、集まった吉原の女郎や振袖新造(女郎見習い)、禿(女郎見習いの子供)たちは、感動のあまり涙を浮かべた。NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の第11回「富本、仁義の馬面」(3月16日放送)。
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吉原を盛り立てるための妙案として、妓楼すなわち女郎屋である大黒屋の女将りつ(安達祐実)は、即興で芝居などをする吉原の祭り「俄」の目玉に、人気の午之助を招くのがいいと提案した。だが、かつて吉原でひどい目に遭ったことがある午之助は、「吉原は好かねえんだよ」といって受けてくれない。
そこで蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)は、午之助とその相棒の歌舞伎役者である市川門之助(濱尾ノリタカ)を、偽の手紙を使って料理茶屋に呼び出した。そして、かつて吉原の妓楼がこの2人に働いたという非礼を詫び、大門の外までわざわざ連れてきた数人の女郎や振袖新造、禿たちでもてなした。
その後、宴たけなわで蔦重が「太夫、お願いがあるんですが」と切り出した。「ほんの少しでいいので、女郎たちに富本をお聴かせいただけませんか」。こうしてはじまった富本節に、女郎たちは感極まって涙を浮かべた、という場面だった。
1年に2日しなかった休日
驚いた門之助が「こんな座興で?」というと、蔦重が説明した。「慣れてねえんですよ。吉原の女郎は芝居を観に行けねえもんで。座敷芸で芝居や浄瑠璃に親しむもんの、幼いころより廓で育ち、まことの芝居を観たことがない者がほとんど。この江戸にいながら、一度も芝居を観ず、この世に別れを告げる者もおります」
そのうえで、こう頼んだ。「吉原には太夫のお声を聴きたい女郎が千も二千もおります。救われる女がおります。どうか女郎たちのためにも、祭りでその声を響かせてはくださいませんか」。蔦重の話は午之助の心にも響いたようだった。「やろうじゃねえか。こんな涙見せられて、断れる男がどこにいる」
また、蔦重の話は同時に、吉原の女郎たちの気の毒な身の上をリアルに語ってもいた。
実際、女郎はよほどのことがないかぎり、大門の外に出ることが許されなかった。のっぴきならぬ事態でも、申請して「切手」と呼ばれる通行証を発行してもらい、さらには妓楼の遣手(女郎を監督する女性)や若い衆(妓楼などで働く男)に付き添ってもらう必要があった。
だが、仮に外に出る自由があったとしても、芝居を観る余裕など到底なかっただろう。女郎にあたえられた休日は、1年のうち正月(1月1日)と盆(7月12日)の2日だけだったからである。しかし、それではさすがに体がもたない。そこで女郎たちは、自分で自分の揚代を支払う「身揚り」などをして休むしかなかった。だが、それを続ければ妓楼への借金が重なり、年季が約束の「10年、27歳まで」で終わらなくなることもしばしばだった。
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