【特別読物】「救うこと、救われること」(6) 松岡和子さん
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松岡和子さんは、シェイクスピアの全37戯曲を、日本では3人目、女性として初めて完訳しました。大学生の時に『夏の夜の夢』のボトム役に出会い、長い年月を経てシェイクスピアの全訳に取り組み、そのなかに「救い」も見いだしたのです。
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「救い」というと、私の場合は、やはりシェイクスピアですね。ひとつは翻訳の仕事が巡ってきたこと。もうひとつは、夫のがん闘病という苦境の中で、シェイクスピアに救われたという思いがあります。
「覚悟がすべてだ」
夫・陽一は食道がんでした。79歳でしたが、手術したときには、まさか亡くなってしまうとは思ってもいませんでした。でもその後、院内感染によって体調を崩し、食べることも飲むことも難しくなって、3週間で退院できるはずが、1年に及ぶ入院になってしまったのです。
病院から自宅に戻ってきたとき、少しでも夫が落ち着けるようにと、1階リビングの庭が見える明るい場所に介護ベッドを置き、看病の態勢を整えました。1時間おきに痰を吸引し、夫の好きな本を読んだり、マッサージしたり、あれこれ介助しながら一日中そばにいました。自分がいつ寝たかもわからないほどでした。
ちょうど『ヘンリー八世』の訳に取りかかっているときでした。介護ベッドの部屋と壁一枚隔てた隣が私の書斎で、夫が寝息を立て始め、離れても大丈夫そうだと思ったらすぐ、書斎に飛んでいくのです。ページを開いた途端に16世紀のイングランドに入り込みました。肉体も脳も全部その世界にワープして、想像力と語彙力を全開にして、原文と日本語をすりあわせる作業に没頭しました。看病の合間を縫った時間でしたが、どれだけ救われたかわかりません。
夫のがんがわかったときには、『ハムレット』の「覚悟がすべてだ」という言葉が浮かんできました。以後、この言葉を何度も呪文のように唱えるようになります。シェイクスピアの言葉は文脈を離れても力があると身をもって知りました。
帰宅してもせいぜい2週間といわれていましたが、せめて80歳になるまでと願い、結局、足掛け4ヶ月間一緒に過ごすことが出来ました。
蜷川さんが開いてくれた扉
私とシェイクスピアとの出会いは、大学時代に新入生歓迎公演で『夏の夜の夢』のボトム役を演じたことです。そこから始まったシェイクスピアの旅は、『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』(草生亜紀子著、新潮社刊)に書かれているとおり、相手が余りに大きな存在で、自分が手掛けるとは思えなかったのです。ですが、不思議なことに、逃げてもシェイクスピアとの縁は切れず、大学で講義し、舞台も見続けていました。そしてついにそのときが訪れます。
1998年、蜷川幸雄さんが、彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督になり、シェイクスピアの全37戯曲の上演が決定。「シリーズ全部松岡さんの訳でやるからね」とおっしゃったのです。
その2年前からシェイクスピアを訳し下ろして上演する機会があり、『間違いの喜劇』『夏の夜の夢』『ロミオとジュリエット』の3作を訳了していました。これがきっかけになり、全戯曲新訳でシェイクスピア全集をちくま文庫で出すという話が決まっていました。蜷川さんはその扉を大きく開いてくれました。蜷川さんがいなかったら、全戯曲を翻訳し舞台化にも立ち会える人生にならなかったと思います。
シェイクスピアは終わらない
28年を掛けて全戯曲の翻訳は終わりましたが、実はそれで私の仕事が終わったわけではありません。訳としては間違っていなくても、演じられるより良い日本語を遺さなくてはならないと思うからです。作品が上演されるときには稽古場に通うようにしていますし、舞台も観るようにしています。そうしているとその場で気がつくことがあるのです。
『リチャード二世』では、リチャード二世が王冠を譲渡する場で「私はまだ悲しみの王なのだ」と語る言葉を、「私はまだ王なのだ、悲しみの」に変えてもらいました。英語の語順に直したのです。日本語だと倒置法になりますが、この方が「私は王だ」と突っ張ってみせる王の「悲しみ」が強調されます。
『マクベス』では、マクベスの有名なTomorrow Speechを刊行から30年経って変えました。ほんの少しでもシェイクスピアの核心に迫る日本語にしたいと願っていて、シェイクスピアのことを考えずに過ごす日は1日もないかもしれません。
思えば私は翻訳に取りかかる前からシェイクスピアの舞台を見続けていて、海外にも出掛けていました。家族には寂しい思いをさせて来ましたし、特に夫は、私が多忙になるにつれて手を抜かれていると感じていたでしょう。大学教授か翻訳か劇評の執筆かどれか一つやめてくれと言われたこともあります。
最期の看病の日々もシェイクスピアの翻訳のまっただ中でしたが、自宅で可能な限り手を添えて過ごせたことで、夫は穏やかに、少しでも救われた思いで過ごしていてくれただろうかと、いまも振り返ります。
■提供:真如苑