「できた!」「じゃ、言ってくれ!」 締め切り間際に「南こうせつ」が電話越しに聞いた“名曲”の歌詞…「発売したらそのまんまミリオンセラーになっちゃった」

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「歌詞が天から降ってきたみたいだった」

 当時の喜多條は文化放送専属の放送作家だった。こうせつは一学年下で、何かのキャンペーンで知り合ったという。

 73年の夏前のこと。こうせつは「かぐや姫さあど」のレコーディングを明日に控えていたが、曲が足りない。そこで喜多條に「1曲書いてください」と頼んだ。

 喜多條は放送作家として毎日、原稿を書き飛ばしていたから筆は速い。それを見込んでのことだ。

 しかし、いきなりそんなことをいわれても……。

 苦悶する喜多條が、帰宅途中に神田川が流れている橋を渡った。「神田川」のプレートも見た。その瞬間、学生時代の甘酸っぱい思い出が蘇ったという。喜多條は思いつくままチラシの裏に「貴方は もう忘れたかしら…」と一気に書き上げた。

 それをどうやって送ったのか――当時はまだFAXなどない。電話で口伝だ。

 これにこうせつが曲をつけたわけだが、ここから先は、こうせつ本人から聞いてみたい。そのチャンスがないかと思い続け、実現したのは21年8月だった。「人生を変えた一曲」というテーマだったが、その時に喜多條の話の続きも訊くことができた。

 喜多條からは歌詞がなかなか送られてこなかったそうだ。締め切りに間に合わない。仕方がないからメンバーで書くか、井上陽水か吉田拓郎に頼もうかと話し合っていた。そこへ夕方、ギリギリのタイミングで電話が鳴った。喜多條からだった。当時だから黒電話だ。

「できた!」

「わかった、じゃ、言ってくれ!」

「貴方は もう忘れたかしら」と手元にあった紙にメモする。この時の様子をこうせつは「歌詞が天から降ってきたみたいだった」と語った。でも、「赤いてぬぐい マフラーにして」って、変な歌詞だなと思ったそうだ。そして言われるまま最後まで書き終わった頃には、メロディがフワッと浮かんできた。

 こうせつは5分もたたずに曲をつけた。喜多條に電話したこうせつはギターを弾きながら歌った。喜多條はビックリしていた。すぐに曲をつけたことだけでなく、それがものすごくよかったこともあったのだろう。

 名曲「神田川」が生まれた瞬間だった。

「出会えて本当によかった」

 日本クラウンはこの曲をシングルで出すか迷ったわけだが、決め手は深夜ラジオの反響だった。こうせついわく、「ものすごいリクエストで」。それでも社内ではもめたが、前述の馬渕の一言で出すことになった。

「忘れもしない。その年の9月20日です。発売したらそのまんまミリオンセラーになっちゃった」

 時は70年安保後。社会をよくしよう学生運動に走った若者の目的は一緒なのに、その果てに、仲間をリンチ殺害したあさま山荘事件が起きて、運動は衰退した。目標を失った学生の胸にぽっかり穴が開いた。これからどうしようか……。

「天下国家を論じるのも大事だけど、本当に大事なのは人を愛すること。ここからなんだ、始まりは。そんなタイミングで『神田川』が発売され、みんなが共感してくれた」

「『神田川』という歌に出会って本当によかったなと思います」と語るこうせつの目が潤んでいるように見えた。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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