警視庁を「上九一色村」大捜索に導いた「目黒公証役場事務長拉致事件」…オウム信者の関与を突き止めた「執念の捜査」全内幕
警視庁がオウム真理教に対する強制捜査に着手してから、3月22日で30年。2日前の1995年3月20日には「地下鉄サリン事件」が起きて死者14人、負傷者6000人超の被害者を出した。一連のオウム事件では192人が起訴され、教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚を含む13人の死刑が確定、2018年7月に執行された。未曽有のテロ事件を起こした教団に対する強制捜査のきっかけは、同年2月28日に起こった目黒公証役場事務長拉致事件だった。その舞台裏を検証する。(全2回の第2回)
始まった捜査
1995年2月28日午後4時半ごろ、目黒公証役場事務長・仮谷清志さん(当時68)は、帰宅途中にオウム真理教幹部に拉致され、車で連れ去られた。事件を予期していた仮谷さんは身内や関係者に、自身がいなくなったらすぐに警察に捜してもらうように依頼し、オウム真理教のことも伝えていた。
所轄の警視庁大崎署刑事防犯課員らが現場に駆け付けたが、現場には誰もおらず、車もない。目撃者も捜したが、通報者以外は見当たらない。
「幹部の指示で、杉並と世田谷にあるオウムの道場に捜査員が向かいました。しかし、応対した信者は知らない、分からないの繰り返しでした」(当時の警視庁捜査員)
同時に、事件は警視庁捜査第1課にも通報された。「はっきりしませんが、拉致事件のようです」との一報を受けたのが午後5時ごろのこと。概要が分からないこともあり、二報を待って対応を検討することも考えたが、奇しくも事件発生のこの日に新任した捜査第一課の寺尾正大課長はすぐに現場に捜査第一課員を出すように指示している。
そして、「動態捜査」と「地取り捜査」が展開された。
まず「動態捜査」。事件は午後5時前後に起きている。その時間帯に現場付近を通行している人、車、自転車、バイクを割り出し、職務質問を続ける。事件当日の当該時間帯に不審者を見なかったか、おかしな光景を見なかったか――これを1週間から10日、同じ時間帯に続けて行うと「定時通行者」が浮かんでくる。
「そういえば、こんなことがありました」
「変だなと思ったんです。あんな車はこの辺りではみかけないんで」
こうした情報を積み重ねる一方で、「地取り捜査」も並行して行われた。
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