「オウム真理教」最大拠点を捜査員2500人が一斉捜索…警視庁が「オウム捜査」に乗り出す転機となった許されざる“拉致事件”とは

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「対オウム」警察の動き

 仮谷さん事件にいたるまで、オウムに対する警察の動きはどうなっていたのだろうか。

 前年の1994年6月27日深夜、長野県松本市で松本サリン事件が起きた。6日後の7月3日、長野県警科学捜査研究所などの鑑定で、サリンと推定される物質が検出される。長野県警捜査第1課は、理系出身者の捜査班を作り、薬品販売会社の販売データを丹念に当たった。

 7月下旬、サリン生成に欠かせない薬品を大量に購入している東京都内の男が浮かび上がる。住所はオウムの世田谷道場だった。さらに8月~9月に怪しい4社が浮かぶ。オウムの関係者が薬品を購入するためのペーパーカンパニーだった。共通しているのは、大量購入する薬品代は現金で一括払いで、その後の取り引きはない。ただ、薬品の購入そのものは違法ではなかった。

 同じころ、後にオウムの犯行と分かる坂本弁護士一家行方不明事件で、オウムとの関係を長く追っていた神奈川県警から「上九一色村で異臭騒ぎがあったらしい」との情報が寄せられ、長野県警は10月初旬、オウムの施設周辺の土壌を採取。警察庁科学警察研究所の鑑定で、11月にサリン生成の分解物を検出する。

 オウムとサリンを結ぶルートがつながった……。

 当時、警察庁刑事局長だった垣見隆氏は、『地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか 元警察庁刑事局長 30年後の証言』(手塚和彰、五十嵐浩司、横手拓治、吉田伸八編著=朝日新聞出版)の中で、対オウムへ向けた警察の体勢を明かしている。それによると、旅館経営者略取事件を抱えている「宮崎県警」、元看護婦監禁事件の「山梨県警」、松本サリン事件の「長野県警」、坂本弁護士事件を捜査している「神奈川県警」、オウムの施設を管内に持つ「静岡県警」、計5県警の連合チームで、捜査に乗り出す方針を94年暮れまでに検討していたという。

 仮谷さん事件の4日前(2月24日)、刑事局内での検討で、オウムへの大捜索は3月初めに着手することを話し合った。その場合、総勢で3000人ほどの捜査員が必要になるのでは、という話も出た。しかし、前述の5県警の連合チームでも、一度に3000人ほどの捜査員を動員するのは無理がある。

 そこで刑事部門の捜査員だけでなく、特科車両隊も含めて10個大隊の機動隊を持つ警視庁の力が欠かせないとの判断になり、その場合は警察庁長官から警視総監へ話をしてもらうことになったという。

 その矢先に起きたのが、仮谷さん事件だった。その捜査の舞台裏はどうなっていたのだろうか?

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