3・22「上九一色村」オウム施設に一斉捜索…捜査員と命がけの現場を共にした「カナリア」のその後

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カナリアはどうなった?

 1都2県25か所。動員された警察官2500名――1995年3月22日、警視庁によるオウム真理教への一斉捜索から30年が経った。宗教団体でありながら、教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚を頂点に省庁制を取り入れた複雑な組織。そしていくつものパイプが突き出した、不気味なサティアン(教団施設)。「宗教弾圧を辞めろ!」と捜索・捜査を妨害する信者たち……捜査の主軸となったのは捜査第一課だったが、対策として捜査員だけでなく機動隊員も動員することになる。平成史に残る「オウム大捜索」の舞台裏エピソードをいくつか紹介したい。

 迷彩服に防毒マスク――山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)における捜索の先頭に立った機動隊員の異様な姿を記憶している読者も多いはずだ。警視庁機動隊は捜索の3日前、3月19日に埼玉県朝霞市にある陸上自衛隊朝霞駐屯地で防毒マスクや迷彩服の装着訓練や使用について指導を受けていた。

 そしてもう一つ。ニュースでも話題になったのが、先頭を行く隊員が持っていた、カゴに入ったカナリアである。かつて炭鉱で有毒ガスを感知するために用いられたことにヒントを得て、“動員”された。松本、地下鉄両サリン事件への関与が疑われていたオウムだけに、施設に踏み入った際に、どのような行動をとるか予期できなかったためだ。

「後にサリン製造プラントと特定された第7サティアンに入った黄色いカナリアには、相当なストレスがあったようで、捜索から間もなく、全身の毛が抜けて亡くなりました。同様のカナリアは数羽いたそうです。“殉職”を免れたカナリアは、各機動隊で大切に飼われました。危険な現場を共にした大切な仲間だったのでしょう」(当時取材した社会部記者)

 目黒区大橋にある第3機動隊。かつて、佐藤栄作総理大臣(当時)が視察に訪れたこともあり、「ほこりの3機」の異名で知られる。

 隊舎の前庭に、記念碑があり、そこにはオウム捜索に出動した360人の隊員の名前と共に「カナリア2羽」と刻まれている。無事に“帰隊”した2羽のカナリアにはひなが生まれた。二度とあのような事件が起きることのないよう、生まれたひなには「ピース」と名前がつけられ、隊員たちが大切に飼育した。

 地下鉄サリン事件以降、「異臭がする」「サリンではないか」という110番通報が増えたこともあり、警備対策としてカナリアを購入した警察署もあった。いずれも任務終了後、大切に飼育されたという。

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