弘道会の高山総裁・竹内会長と稲川会の内堀会長との3者会談の中身 ここでも「和平」が話し合われたか

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6代目執行部は出席しなかった

 3月中旬、3代目弘道会の高山清司総裁が出席した会談が波紋を呼んでいる。業界筋が注目したのは、6代目山口組執行部の関与がない3者会談だった点なのだという。当然、そこで話し合われた中身に注目が集まっている。

 会談があったのは3月13日午前、愛知県津島市の9代目玉屋一家(6代目山口組の3次団体で、上部組織は3代目弘道会)の本部においてだった。会談メンバーは3代目弘道会の高山清司総裁(6代目山口組若頭)と竹内照明会長(6代目山口組若頭補佐)、そして6代目稲川会の内堀和也会長。内堀会長と竹内会長とは5分の兄弟の間柄で、両者の会談自体は珍しいことではないが、そこに高山総裁が絡む一方でその他の6代目執行部が出席しなかったことに注目が集まっているとされる。

「会談そのものはこの3者で、会談を見守る役回りとして3代目弘道会の執行部および直参組長が集まっていたということでした」

 と、担当記者。

話し合いのテーマは

「6代目山口組執行部が出席しなかった理由はよくわかりませんが、“よりスピーディーに課題を解決したい件があったか、あるいは解決方法そのものを議論したかったからではないか”との指摘があがっていました。特に目立ちたくなければ会って話さない方法を模索するはずですが、捜査当局に会談開催の事実を知られている中でも“どうしても会って話さなければならない”という思いがあったということなのかもしれません」(同)

 会談開催は内堀会長が声かけしたという。元山口組系義竜会会長の竹垣悟氏(現在は、NPO法人「五仁會」を主宰)はこう読み解く。

「テーマは6代目山口組と神戸山口組との抗争終結についてだったと聞いています」

 稲川会は1984年から1989年まで続いた血で血を洗う山一抗争を仲裁して抗争終結に導いた“実績”があり、今回の動きも2015年に始まった今回の抗争終結に向けた話し合いに主体的に関与し始めたことの表れではないか、との見立てが浮上したと言えるのかもしれない。

神戸山口組の弱体化

 分裂騒動当初こそ6代目山口組と神戸山口組とは拮抗・均衡状況にあったとされるが、時間が経つにつれ、6代目山口組側の優勢は誰の目にも明らかとなっていった。ヤクザに抗争はつきものでそれに対してカエシと呼ばれる報復を行うことが常だが、神戸山口組側はカエシさえ行うことができない・行わないことが常態化していく。

 当然、神戸山口組からは脱退者が続出。井上邦雄組長の腹心だった4代目山健組の織田絆誠副組長(=当時)が組織を抜けて新たに任侠団体山口組(現・絆會、織田会長)を立ち上げ、同じく神戸側を脱退した池田組と絆會は運命共同体として活動するようになる。やがてそこに大元の神戸山口組が絡み、「3社連合」が形成されたこともあった。しかし、その蜜月は長く続かなかった。

「資金力に余裕のある池田組は絆會に資金援助してきましたが、ここ最近はそれがままならない状況にあるという話もあります。実際、絆會は資金面で苦しいという指摘もあるほどです。それでも織田会長としては右腕だった金澤茂樹若頭(殺人罪などで起訴)の裁判の結果を見届けるまでは組織運営を継続させたいはずだとの見方もあります」(同)

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