「若い世代を守るために、人間には死ぬ義務もある」 ネットで炎上しても平然としていた「曽野綾子さん」の直言【追悼】

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人が思っていても言えないことをはっきりと

 作家の曽野綾子さん(本名・三浦知寿子)の言葉は、明快で核心を突いていた。保守の論客とも呼ばれたが、理念より現場を重んじて物事の本質に迫ろうとした。

週刊新潮」で「医の中の蛙」を連載中の医師、里見清一さんは曽野さんと交わした数々の言葉を大切にしてきた。

「実ににこやかに、また穏やかにですが、人が思っていても言えないことをはっきりと口にされていました。“人間の命がどんどん延びたらどうなるか、推定しなければいけなかった。医学界は何を怠けていらしたのか”“若い世代を守るために、人間には生きる権利もあるけれど、死ぬ義務もある”などとおっしゃったのです。肝が据わった人とはこういう方なのかと思うばかりでした」

 人間は何のために生き、どう死ぬのか、が曽野さんの生涯を貫くテーマだった。

「曽野先生は、歯に衣着せぬ発言がネットで炎上しても、“SNSなんて使ったこともないから”と平然としておられた。先生のこの姿勢は敬虔(けいけん)なカトリックで、人間は死ぬものだと幼稚園から教育されてきたたまものなのでしょう」(里見さん)

『神の汚れた手』が話題に

 1931年、現在の東京都葛飾区生まれ。カトリック系である聖心女子学院附属幼稚園に入園。以後、大学卒業まで聖心で学ぶ。51年、同人誌「新思潮」に参加、5歳年上の三浦朱門さんと知り合い、53年に結婚。その翌年、『遠来の客たち』が芥川賞候補となった。

 綿密な取材に定評があった。『神の汚れた手』(79年)は産婦人科医を主人公に妊娠中絶に切り込み、生命の尊厳を問い反響を呼ぶ。

「先生はかたくなな教条主義者ではなかった。妊娠中絶について質問した時に、“いろんな事情があって、仕方がない場合もあるでしょう。ただ、子供の命を奪ったという事実は忘れずに、ずっと背負って生きていかなければなりません”とおっしゃった。情は情として理は理として両立させ、一体となった方でした」(里見さん)

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