「悠仁さま」筑波大ご進学で「茨城県警」の苦悩…皇室警備の経験でおとなり「栃木県警」と“圧倒的な差”が囁かれる理由
消防活動も兼務
一方で皇警は1886(明治19)年、宮内省(現在の宮内庁)で誕生した皇宮警察署が起源で、戦前・戦中は近衛師団と連携しながら警備に当たっていた。「皇室内で犯罪が起きるわけがない」という考えから、警察とはいえ犯罪捜査権はなく、代わりに消防活動をする職員が置かれた点が特徴だ。
しかし戦後、武装解除で軍隊の近衛師団は解体。旧皇宮警察署と旧近衛師団のメンバーが合流して1945(昭和20)年に禁衛府が生まれた。ただ内部で再軍備の動きがあったため、わずか半年で廃止となり、旧皇宮警察署のメンバーは警視庁に所属が移ることになった。1947(昭和22)には、一時的ながら警視庁の皇宮警察部となるなどの経過を経て、皇警は戦後の警察組織再編の中で、警察庁に従属する皇室警備専従機関になったのである。
ちなみに警視庁との合併と分割を経たことで、皇警には「警防」という名で皇居内の「消防」の任務が残る一方、警視庁からは東京消防庁が枝分かれしたが、東京消防庁トップの呼称は、名残から「消防総監」となっている。
かつて「特高警察」の呼称で悪名をとどろかせた特別高等警察は戦中、豊富な人員と全国に保持する国家警察のポジションをフル活用して、反戦思想を徹底的に弾圧。拷問まで行ったことへの反発・反動もあり、戦後は全国規模の警察機構再編に“待った”がかかり、警察庁は行政機関に位置付けられた。そして現在のように、警察庁と都道府県ごとの治安機関で、社会秩序の維持に努める体制を選択した。
「警衛は規模が最小限に抑えられた皇警と、地域単位に分割された警察本部が役割分担するという、効率的とは言い難いシステムが採用されたのです。複数の警察機構が担うというばらばらな印象は、それが原因でしょう」(警察庁幹部)
しかし今回、異例のキャンパスライフという事態に、各機構が協力して「皇室のボディーガード役」を担う組織を、事実上、一本化させることとなったのだ。繰り返しになるが、皇室典範に変更がない限り、若い世代で皇位継承権を持つのは悠仁さまだけ。
「不慮の事故・事件は決して許されません。都外での学校生活は警備上、われわれには難題ですが、乗り越えねばならない最重要課題なのです」
前出の茨城県警関係者は、そう力を込めた。
[2/2ページ]