染色体異常の検査で「陽性結果」に動揺 中絶を申し込んだ妊婦を救った医師の機転 「出生前検査の見えないリスク」とは
前編記事【35歳での妊娠、直面した「染色体検査“陽性”」の現実 「出生前検査」が投げかける課題とは】からのつづき。
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妊娠中の女性の血液には、ほんのわずかながら胎児由来のDNA(デオキシリボ核酸)の断片が漂っていて、NIPT(新型出生前〈しゅっせいぜん〉検査)は、採血でこのDNAの断片を分析し胎児の染色体に変化がないか調べるものである。
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第3子の妊娠に気付いた麻衣さん(仮名)は35歳ということもあり、少しでも不安を払拭するためにNIPTを受けた結果、陽性の判定を受け、一時は妊娠継続断念を決めていた。
しかし、中絶手術を申し込んだ病院の周産期医学専門の藤田太輔医師(大阪医科薬科大学病院)が彼女の不安に寄り添い、冷静な判断のため羊水検査を勧めたことで状況が大きく変わった。
NIPTの普及に伴い、精度の安定しない検査項目で陽性結果が出たことに戸惑う妊婦が増えている。
『出生前検査を考えたら読む本』(毎日新聞取材班)から、確定的診断が可能な羊水検査を受けた麻衣さんと藤田医師のやりとりを紹介する。【全2回(前編/後編)の後編】
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覆る結果
麻衣さんは6月7日に大学病院で羊水検査を受けた。針をお腹に刺し、子宮内の羊水を採取する。その羊水に含まれている胎児由来の細胞から、染色体の変化を調べる仕組みだ。そして、両親からの遺伝の可能性もあるため、麻衣さんと夫の直樹さん(仮名)の血液も採取して、染色体の構造を調べることになった。
結果が出るまで数週間かかる。麻衣さんには、ものすごく長く感じられた。
子どもを寝かしつけた後、考え込むことがしばしばあった。
「結果について考えてもしょうがないのに、ついついよくないことばかり思い浮かべてしまう。子どもたちの世話と、目の前の仕事のことだけを考えるようにしよう」
子どもたちには、まだ妊娠していることを伝えずにいた。万が一のことを考えて、羊水検査の結果が出るまでは、と控えていたのだ。
それでも、子どもたちは母親の変化に敏感だった。
「ママ、お腹が大きいよ」
膨らんできたお腹は隠しきれない。麻衣さんは笑いながら、
「食べ過ぎたわー」
とごまかした。内心は、気が気でなかった。
麻衣さんはNIPTの結果が出た後も、今まで通り通勤していた。自分では、以前と変わりなく業務に励んでいるつもりだった。
ある時、上司に声をかけられた。
「ずっと暗い顔をしているね」
麻衣さんは、はっとした。表情や言葉に、つらい心情がにじみ出ていたのだろうか。
病院で羊水検査を受けるために仕事を休む際には、「ちょっと調べることがあって」とごまかし、詳しい説明を避けた。これ以上、周囲に心配をかけたくはなかったし、NIPTを受けたと明かすことにためらいがあった。
6月29日、麻衣さんは大学病院で、羊水検査の結果を伝えられた。検査結果の報告書には、こんな記載があった。
「親由来の 8p23.2 領域の重複が認められました」
「表現型異常の原因にはならないと考えられ、通常当施設においては報告対象外となる」
専門用語が並んで難解だが、こういうことを意味する。
4月に麻衣さんがクリニックで受けたNIPTの結果は、「8p23.2-p23.1」という領域の重複の可能性を示していた。今回、精度の高い羊水検査で調べ直した結果は、8p23.2 領域のみの重複で、特段の症状が出ないタイプの変化だった。つまり、NIPTの結果は、実際とは染色体の重複範囲がずれていたことになる。
この重複は父親からの遺伝だった。病院で採取した直樹さんの血液からDNAを解析した結果、胎児と同じ 8p23.2 領域の重複が見つかったのだ。つまり、この重複があっても、直樹さんと同じように特段の症状が出ないだろうという安心材料になる。
解析を担った検査会社では、この重複が検査で見つかったとしても、特段の症状の原因にならないと考えられるため、通常は検査を受けた人へ伝えていない。
「やっぱりご両親からでしたね」
藤田医師の予想通りの結果だった。
「良かったです」
麻衣さんは、顔をほころばせた。
この時、NIPTの結果が出てから、既に2カ月近く経っている。麻衣さんはここまでの長い時間を振り返ると、純粋に喜びきれず、複雑な気持ちだった。
「ここまで時間をかけて検査しないと、前向きになれないのか」
11月、帝王切開で出産した。3400グラムの元気な男の子だった。
トラウマ体験のようになったNIPT
2022年5月、記者は麻衣さんの自宅を訪ねた。次男の湊君は生後5カ月になり、離乳食におかゆを与えると、きれいに平らげるという。ほっぺたはぷっくりとして健康そのものだ。
記者が1年前の5月7日のことを尋ねると、麻衣さんは詰まりながらも、言葉を振り絞った。
「この日のことをすごく覚えていて、羊水検査をして『大丈夫』となった後もすごい思い出すんですよね。私あのとき、あんなことをしようとしていたんだな……って。すごい思い出して。何度も思い出して……」
麻衣さんは目を真っ赤にはらし、涙をこぼした。一度は我が子に対して下した決断に罪悪感を覚えている。トラウマ体験のように心に残り、思い出す度に複雑な感情が渦巻いていた。
「もう妊娠したくない」。麻衣さんは湊君を出産した際に、卵管を結紮(けっさつ)する不妊手術を受けた。
自分の行動はどこで間違ったのだろうか、どこで修正すべきだったのだろうか、と自問を重ねたこともある。
「NIPTの結果だけをぽんと渡されて、もうだめだと思って、すべてをシャットダウンしてしまった。詳しい先生にしっかりと診てもらうことが大事なんだと思う。私の場合は、そのおかげで希望が持てたから」
「これからNIPTを受けるかもしれない人たちに知ってもらいたいです」
取材で一通り話を聞いた後、ふと疑問に思った。思い出すのも辛い体験を、なぜ身を削る思いで語ってくれたのだろうか。
「実は、この体験をどこかで発信したいと考えていました。今の時代、多くの女性が大学を卒業していますし、仕事をしています。就職してある程度仕事をしてから結婚しようと思うと、どうしても出産は30歳以降になります。私は周りの人と比べて、そんなに結婚が遅かったわけではないけれど、それでも初産が30歳でしたし、3人目の出産では36歳になっていました。出産年齢も上がっているので、妊娠中に安心したくてNIPTを受ける人は、ますます増えると思います。私のような事例があることを、これからNIPTを受けるかもしれない人たちに知ってもらいたいです」
麻衣さんは、直樹さんと共働きで、家事も育児もこなす。家族の将来や子どもの教育を考えながら、家計をやりくりしている。似たような境遇の女性はたくさんいるだろう。
取材を通じて、麻衣さんは論理的に物事を考える力やコミュニケーション能力が高く、インターネットを使った情報収集にも非常に長(た)けていると感じた。それでもなお、30代後半という比較的高い年齢での出産に不安を覚え、ネットで見つけた検査を利用し、思いがけない「陽性」という言葉に心をかき乱された。羊水検査を受けずに中絶を希望したことは、拙速な判断のように見えるかもしれないが、大きな不安と動揺の中でこういう落とし穴に陥る可能性は、誰にでもあるのではないだろうか。
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