メジャーで活躍中の左腕も大記録を逃していた…センバツ、記憶に残る“ノーノー未遂”
「あと2人」の場面で、詰まった打球がワンバウンドし…
2014年、ノーヒットノーランまで「あと2人」に迫りながら、内野安打1本に泣いたのが、履正社の2年生右腕・溝田悠人である。
1回戦の小山台戦、緊張のあまり、朝食も昼食ものどを通らず、試合開始後も腕が思うように振れなかった溝田は、1回1死から一ゴロエラーの走者を許すが、盗塁失敗に助けられ、無失点で切り抜ける。その後も直球と縦横2種類のスライダーを頼りに我慢の投球を続けていると、中盤あたりから腕が振れるようになった。3回から6回の4イニングで7三振を奪い、2回以降は1人の走者も許さない。
味方打線も10四死球と制球に苦しむ小山台のエース・伊藤優輔(現・ソフトバンク)に対して、辻心薫の満塁本塁打など長短9安打を浴びせ、8回までに11対0と大差をつけた。
そして、ノーヒットノーランがかかった最終回、溝田は先頭打者を三振に切って取り、次打者の代打・竹下直輝も三塁方向への小飛球に打ち取ったかに見えた。
ところが、打球が詰まったことがアダとなり、三塁手・辻の左前方でワンバウンド。辻の必死の一塁送球も間一髪セーフとなり、この瞬間、ダルビッシュ以来、大会史上13人目の快挙は幻と消えた。
実は、溝田は中学時代にも関西ナンバーワンをかけた硬式野球の大会で、最終回の7回1死から安打を許し、「あと2人」でノーヒットノーランを逃していた。
この大会も同じ甲子園開催とあって、2度目の不運を味わった溝田は試合後、「よっぽど僕は心掛けが悪いんやと思いました。でも、残念だけど(完封勝利は)うれしい」と苦笑まじりにコメントした。
昨年から打球が飛ばない低反発バットが導入され、「投手が有利になった」といわれるだけに、今大会では久しぶりにノーヒットノーランが見られるかもしれない。
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