メジャーで活躍中の左腕も大記録を逃していた…センバツ、記憶に残る“ノーノー未遂”
3月18日に開幕した第97回選抜高校野球大会。春夏の甲子園大会で達成されたノーヒットノーランは、2004年センバツの東北・ダルビッシュ有(現・パドレス)を最後に20年以上も途絶えている。ダルビッシュ以降のセンバツで、9回以降に惜しくもノーヒットノーランを逃した投手たちを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】
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「スコアボードの『ヒットゼロ』の表示を見て、欲が出た」
まずは、2009年の花巻東・菊池雄星(現・エンゼルス)の名前が挙がる。最速149キロの速球を売りに“みちのくエクスプレス”の異名をとった大会ナンバーワン左腕は、岩手県勢では25年ぶりのセンバツ勝利をかけて、1回戦の鵡川戦に臨んだ。
ところが、試合前の投球練習中に左足首とふくらはぎを痛めてしまう。ストレッチを続けて痛みは和らいだものの、その後も投球動作で踏ん張るたびに痛みが走るため、「足に負担がかからないよう、八分目の力で投げよう」と全力投球を自重した。
そして、適度に力を抜いたことが、あわやノーヒットノーランの快投につながった。
初回を3者凡退に打ち取った菊池は、2回以降も丹念に低めを突いて走者を許さず、5回には最速152キロをマーク。8回2死までパーフェクトに抑えた。
だが、24人目の打者・阿部康平に対し、カウント3-1からの5球目が低めに外れ、四球を許してしまう。パーフェクトが途切れ、スタンドからどよめきが起きると、記録のことを知らなかった菊池は「何でざわついているのかな。これで何個目のフォアボールだろう?」と思ったという。直後、阿部は二盗失敗でスリーアウトチェンジになった。
5対0とリードの9回も、菊池は先頭打者を三振に打ち取り、ノーヒットノーランまで「あと2人」となった。
ところが、1死から代打・高地紘平に甘く入った直球を左前に痛打され、ついに初安打を許した。「スコアボードの『ヒットゼロ』の表示を見て、欲が出た」と振り返った菊池だったが、「地元(岩手)の学校で全国優勝したい」というもっとでっかい夢があり、個人記録にはそれほどこだわっていないようだった。
同年、花巻東は県勢初の決勝進出をはたしたが、今村猛(元広島)の清峰に0対1で敗れ、大旗まであと1歩で涙をのんだ。
延長戦に突入後の10回、102球目の直球を左前に運ばれ…
前出の菊池と同じ2009年、9回まで無安打無失点に抑えながら、味方の援護なく、記録も勝利もフイにしたのが、PL学園・中野隆之である。
前年秋の公式戦で10試合に登板し、8完投5完封の防御率0.40と抜群の安定感を誇る182センチ左腕は、センバツでも1回戦の西条戦で、“伊予ゴジラ”秋山拓巳(元阪神)との投手戦を1対0で制し、被安打5、奪三振11の好投を見せた。
2回戦の南陽工戦でも、中野は横手に近い独特のフォームから130キロ台の直球とスライダー、スクリューボールを巧みに投げ分け、打たせて取る投球で、9回まで1死球のみの無安打無失点に抑えた。
だが、PL打線も“津田恒美2世”岩本輝(元阪神)を攻略できず、5回1死三塁の先制機も後続が2者連続三振。0対0の9回裏も、2死二塁と一打サヨナラのチャンスを作りながら、中野が投ゴロに倒れ、試合は延長戦へ。
8回以降、球威、握力ともに衰え、気力だけで投げていた中野は、10回の先頭打者を左飛に打ち取ったが、1死から2番・竹重瑞輝に102球目の直球を左前に運ばれ、ついに記録がストップ。「ヒットは仕方がない」と気持ちを切り替えたが、2死後に3連打を浴び、2点を許してしまう。
その裏、PLも2死から1点を返したが、岩本から決定打を奪えず、1対2で敗れた。9回までノーヒットノーランの力投も実らず不運にも敗戦投手になった中野は「自分さえ0点に抑えていたら負けなかった」と自らを責めて涙にくれていた。
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