「高校野球には戦争、昭和の名残が」「資本家と労働者の階級格差はAI格差に」 五木寛之と古市憲寿が語る「昭和100年」

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高校野球に残る戦争、昭和の名残り

五木 コロナよりも僕は、高校野球を見ていると、戦争や昭和の“尻尾”を感じるんですよ。甲子園の入場行進、あれは軍隊の分列行進の歩き方にそっくり。高野連はなんで直さないんだろうと思って。

古市 言われてみるとそうですね。日本の中で、まだ戦争が残ってる。「昭和」という意味では、坊主にするのもその象徴といえるかもしれませんね。あるいはサイレンの音とか、炎天下で熱中症を気にしないようなスタイルとかも……。

五木 そこに肩パッドが入ったジャケットなんか着てたら、一目で昭和の人だと分かる。

古市 でも流行は巡って、最近またそういうオーバーサイズの服がはやっていますよ。

五木 そうか(笑)。僕は昔に買い込んだ洋服をずっと着ていて、この30年間で一回も新しい服を買ったことがないんです。もう歴然とした昭和のファッション。でも今はいろんな人がアナーキーに自由な服を着てるから、あんまり気にならないですね。

古市 新しいとか古いとか、流行は巡りますね。僕の仮説では、ネットで服が買われるようになって、「小さくて着られない」ということがないように、大き目なサイズを買う人が増えたのかなと思っていますけど。

10年先、100年先のことを考えて書いていない

五木 なるほど。まあ、昭和はなかなかしぶとく生き残ってますね。でも、古市さんにも昭和に対する愛着とか惜別の気持ちってあるんですか。

古市 正直、ないですね(笑)。

五木 ははは。そうなんだね。

古市 だから逆に、昭和に書かれた小説とかは、SFというか、異世界のものを読んでいる感覚があります。

五木 なるほど。われわれはその中に漂っている空気感を、同時代のものとして読んでるんだな。そうか、今はその感覚はないんだ。

古市 五木さんの週刊新潮の連載で、学生時代に新聞配達をしていた話を書かれていましたよね。池袋から日本橋まで自転車で走り回っていたというのを見て、今では考えられない距離を移動しているんだなって。有吉佐和子さんの小説を読んで思ったのですが、昔の方は本当によく歩いていますよね。

五木 小林秀雄さんと講演会で一緒になったとき、鎌倉の自宅から浅草の方まで海苔(のり)を買いに歩いて行ってたと話していて、驚いたのを覚えています。だけど時代をさかのぼれば、そのくらいの距離は十分に歩ける距離だったんですよね。

古市 昭和の小説を読んでいると、こういう感覚の違いが面白かったりします。でも、それこそ有吉さんの『悪女について』とか、ディティールの古さは感じつつも、物語自体に古さはあまり感じないですね。

五木 あれこそ昭和の小説だよね。だけど古く感じないことがいいんかというのはまた、別問題なのかなぁ。古いからいいってものもある。

古市 死後も読まれる作家とそうでない作家がいると思いますけど、この辺の違いもどこにあるんですかね。

五木 うーん。作品の問題だけじゃなくて、いろんな要素がありますからね。優れた作品なら長く読まれて、どうでもいいような作品は消えてしまうという単純な話でもないでしょう。もう成り行き次第なんだろうから、僕は10年先、100年先のことを考えて書いてはいないから。

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