「高校野球には戦争、昭和の名残が」「資本家と労働者の階級格差はAI格差に」 五木寛之と古市憲寿が語る「昭和100年」
記憶から消えない教育勅語、軍人勅諭
古市 そうですね。そういう点で五木さんは92歳になられたという実感があるんですか。
五木 うーん、少なくとも今こうして古市さんと話している限りは、あんまり年齢差は感じないです(笑)。
古市 本当にそうですね。同じ時代を生きてるからでしょうか。
五木 ただ明らかに違うものもあるんですよね。それは何かというと、僕らは昭和という時代を背負ったままで、「荷物」を降ろせていないんです。例えば、僕が中学校に入るくらいのときがまさに戦時中でしたけど、当時強制的に教えられた教育勅語や軍人勅諭とかってものが、今も記憶として厳然と残ってるわけ。「一つ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし……」に始まる長い文章が、そっくりそのまま頭の中に残ってるんだ。敗戦でいっぺんチャラになったはずなのに、こればっかりはなぜか消えないんだよね。
古市 うーん、なるほど。
五木 手旗信号だっていまだにできる。こうやって「イ」「ロ」「ハ」。モールス符号でいうなら、ト・ツーが「イ」、ト・ツー・ト・ツーが「ロ」、「ハ」がツー・ト・ト・ト。こういうカルチャーというか教養が、遺産として自分の中にぎっしり詰まってて、どうしようもなく重いんです。
古市 でも一方で、忘れたことにして生きていかないといけなかった面もあったわけですよね。軍人勅諭にしても、戦後は一応社会が切り替わった体になったから、忘れたふりをしなきゃいけなかった。
五木 忘れたふり。まさにそういうことなんだよね。重いものがいっぱい無意識の中に残っているのに、それを隠してしまえというのだから、なかなか厄介なことです。
古市 戦後の平和条約もそうですよね。お互いに被害の記憶も加害の記憶も鮮明にあるのに、いったん忘れたことにして条約が結ばれるじゃないですか。日韓にしても日中にしても日米にしても、記憶はずっと残っているのに、忘れたふりをしてわれわれは生きている。でも「戦後80年」という節目を迎える今、過渡期に入っているような気もするんです。本当の意味での戦争の経験者がこれから社会から減っていってしまう中、完全に忘れられていくのか、それとも違う形でよみがえっていくのか。
五木 うーん、どうなんだろう。なかなかスッキリした答えが出せないところがあるなぁ。
コロナ時代と戦争は似ていた?
古市 逆に、五木さんのような世代が中心にいたからこそ戦争は起こってこなかったのか、それとも世代が交代していっても、戦争を起こさずにいられるのか……。
五木 一時期、「新しい戦前」なんて言葉がはやったけど、今は「新しい戦争」の時代ですよね。ウクライナといいガザといい、背景には大国があって、それらに提供される武器を使って戦っている。代理戦争という、新しい形の戦争の時代が訪れているなと感じます。
古市 コロナ時代は戦争に似ていた部分もあると思います。外出者をみんなで糾弾したり、世論が一方向に傾いている様は、太平洋戦争に突き進んでいった時代と重なる気もしました。戦争もコロナも経験した五木さんとしてはどう感じていましたか。
五木 いや、僕は歴然とした違いがあったと思いますよ。やっぱり戦争時代の社会的なプレッシャーはすごかった。コロナの場合は、「かかるのは自己責任」みたいな雰囲気があったり、みんな割とクールに世界を見ていたりして、当事者意識は強くなかったんじゃないかと思いますね。
古市 クールさはありましたね。
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