「悪名高い女性タレントが初対面でいきなり……」作家・五木寛之を困惑させた「お願いごと」

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 強烈なキャラと派手な容姿、野村克也監督の妻という肩書で、タレント・野村沙知代さん(1932~2017)を覚えている方も多いだろう。

 作家・五木寛之さん(92)も初対面の沙知代さんに大声で呼び止められ、突然、無理なお願いごとをされたという。しかし、同じ「昭和7年」生まれが持つある種の共感が、五木さんの沙知代さんに対する印象を変えていった。

 五木さんの最新刊『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)から一部を抜粋・紹介する。

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初対面での突然のお願い

 野村克也監督夫人の野村沙知代さんは、日本人ばなれのしたおおらかな女性だった。

 ある日、私がカンヅメになっていたホテルの車寄せで、

「イツキさーん」

 と、大声で呼ぶ女性がいた。どうやらテレビで見たことのある野村監督夫人の沙知代さんであるらしい。ホテルの入口なので、出入りする人たちの好奇心にみちた視線が集中する。

 勢いよく駆け寄ってきた彼女は、あたりをはばからぬ大声で、

「ああ、会えてよかった。じつはお願いがあるの」

 初対面でいきなりお願いといわれても、応待のしようがない。

「私、こんど小説を書いたんです。読んで、面白いと思ったらどこか出版社を紹介してくださる?」

「え、いきなりそんなこと言われても――」

 と、私のほうはたじたじの態である。

「いいじゃないの。五木さん、昭和7年の生まれでしょ。私も昭和7年。同じ大変な年に生まれたんだから、よろしく」

 という訳で、分厚い原稿の束を押しつけられた。昭和7年生まれなら石原慎太郎さんもそうじゃないか。そっちへ頼んだほうがいいですよ、と言いかけた時には、もう姿はなかった。

 一応、原稿は読んだが、私には判断がつかない。

 しかし、私は野村監督が好きだったので、旦那に免じて、ある編集者にその原稿を托(たく)した。

 結果はアウトだったようだ。沙知代夫人からも、編集者からも、何の連絡もなかったからである。

同じ時代を生きた者同士の繋がり

 私は正直にいって、以前、沙知代さんには余り良い印象は持っていなかった。世間一般の評判もそうだったようである。しかし、彼女のおおらかというか、こせこせしない生き方には、ある共感をおぼえるところがあった。この島国の枠をはみ出したお人柄のように感じられたからである。

 あの野村監督が、あそこまで惚(ほ)れこむには、それなりの理由があったにちがいない。

 緻密(ちみつ)さが売物の野村監督だが、たぶん自分にない何かを沙知代さんから感じとっていたのではあるまいか。

 昔、〈花の7年組〉という言葉があった。

 昭和7年生まれの人が、華々しくジャーナリズムで活躍していたことがあったのだ。

〈同じ大変な時代に生まれたんだから――〉

 と、沙知代さんが言ったのは、たしかに一理あるような気がしないでもない。

 昭和7年、1932年は満州国建国の年であり、五・一五事件がおこった年でもあった。

 日本が国際連盟を離脱し、困難な道を歩きはじめた頃でもある。同じ時代を生きたことは、個人の運命を超える何かがあったのかもしれない。

※本記事は、五木寛之『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)を一部抜粋したものです。

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