「オウム村井刺殺に動いたヤクザ」「地下鉄サリンを防げなかった悔恨」 事件発生から30年目の2つの証言

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トップ会談の開催

「殺人などの罪で起訴されたA氏に懲役12年の刑が下りましたが、その動機や背景などは判然としないままでした。村井から捜査当局が聴取できなくなったことは、オウム関連捜査に大きな影響を与えたとも指摘されています」(同)

 問題はなぜヤクザが関わったかだ。当初は組織との関係を口にしていたA氏は公判では個人的な義憤が動機だと語っている。しかしオウムと暴力団との間に何らかの関係があったというのは大方の見方だ。この件については当時、暴力団にいた人物の証言をご紹介しよう。

「実は、オウムの麻原彰晃教祖は村井を連れて5代目山口組の渡辺芳則組長を総本部に訪ねたことがあります。頼みごとがあったからです」

 と話すのは、元山口組系義竜会会長の竹垣悟氏(現在は、NPO法人「五仁會」を主宰)。

「会談のテーマは熊本・波野村(当時)をめぐってのものでした」(同)

 オウムが熊本の東部にあった波野村で教団施設の建設を検討し、土地を取得したのは1990年5月のこと。それを察知した地元住民から反対運動が起こり、オウムとしては悩ましい状況に追い込まれた。県は国土利用計画法違反などの容疑で県警に刑事告発を行い、県警は強制捜査を行っている。

口封じのため

「トップ会談の時期は定かではないのですが、オウムの凶暴性が公に露見していない時期のようです。麻原らは地元の反対運動に参画している右翼の妨害をストップしてほしいと5代目にお願いしたと聞いています。5代目もこれを受け入れると回答したようで、水面下で5代目の腹心が動いたとの説もありました」(同)

 最終的には1994年8月、波野村がオウムに9億2000万円を支払って、土地を買い取ることで和解に至った。オウム側の土地購入代金は数千万円程度だったので結果として巨額の利益を得たことになる。この資金力はオウムを犯罪組織として暴走させる一因となったとも分析されている。

「その後、オウムが凶悪なテロ組織と化したため、彼らとの接点があるのは暴力団にとっては都合が悪い。それゆえに“オウムと5代目との接点”を口外する可能性のある村井の口封じをA氏にやらせたのではないかという説が語られているのです」(同)

 むろん、これはあくまでも1つの説に過ぎない。捜査も裁判も全て終わっているが、それゆえに解明されないままの謎がオウム周辺では多い。

 少しずつでも当時を知る者たちが口を開くことが、事件を風化させないために必要なのは言うまでもない。

デイリー新潮編集部

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