「オウム村井刺殺に動いたヤクザ」「地下鉄サリンを防げなかった悔恨」 事件発生から30年目の2つの証言
元日に読売がスクープ
オウム真理教による大規模テロ、地下鉄サリン事件から30年。メディアでは当時を振り返る特集などが組まれている。ここでは2つの「証言」に関する話題を取り上げよう。
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1つは捜査の最高責任者だった人物の新証言。もう1つは関連事件の中でも謎が多いとされる村井秀夫刺殺事件に関する証言。いずれもオウム真理教周辺の闇に何らかの光を与えるものと言えるだろう。
まず、最近注目を集めた「新証言」について。
地下鉄サリン事件が発生したのは1995年3月20日。警察庁はオウム真理教(以下、オウム)に対する強制捜査の必要性を認識し、同月22日に警視庁が山梨・上九一色村(当時)などの教団施設を強制捜査する予定を進めていた中で発生した惨劇だった。
「この年の元日に、読売新聞が『上九一色村でサリン残留物』というスクープ記事を掲載します。それ以前から全国の都道府県警を統括する警察庁はオウムとサリンの関係性について注目し、ほぼ確信を持ち、強制捜査の準備を進めていました」
と、社会部デスク。
オウムとサリンがつながった
「今年2月に刊行された『地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか――元警察庁刑事局長 30年後の証言』(朝日新聞出版)は、捜査の全てを最終決定した当時の刑事局長である垣見隆氏が専門家らの聞き取りに応じた1冊です。迫真性に富む証言から新たに見えてきたこともあり、非常に歴史的にも意義のある内容だと感じました」(同)
松本サリン事件が起きたのは1994年6月27日のこと。長野県警による捜査の過程でオウム関係者がサリンの生成に必要な物質を購入していた事実が浮かび上がる。
「垣見氏はオウムへの警戒を強め、全国の警察に号令をかけ、事件化の手がかりを得ようと努めます。一方で、94年11月、警察庁科学警察研究所の鑑定で、上九一色村の教団施設周辺から採取した土壌から“サリン生成時にできる残留物を検出した”という結果が出ました。これでオウムとサリンのつながりが否定できないものになったわけです」(同)
となればすぐにでもサリンの製造工場を抱える上九一色村の教団施設に強制捜査をかけるべきではなかったか、そうすれば地下鉄サリン事件は防げたのではないか、という疑問が当然わくわけだが――。
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